寺山修司(1)

私が高校生の時、寺山修司がメディアに登場した。それは今までの文化人の登場の仕方と違っていた。たとえば東京スポーツの競馬欄に出ている。ギャンブルは神に通じる、なんて記事を書いていたと思う。 変わった歌人・詩人というふれこみ。TVにも出てきた。…

いろおんな(3)

私とSは教室で野球部が戻ってくるのを待っていた。野球部はなかなか帰ってこなかった。それで2人して様子を見に廊下へ出た。校門の方へ向かうと野球部が廊下の角から現れた。 野球部の様子に特に変わったところはなかった。彼の話はこうである。校門を入っ…

いろおんな(2)

それからクラスの話題はいろおんなで持ちきりだった。休み時間やうるさくない教員の授業中はみないろおんなのアパートに注目した。その観察によると、彼女は朝10時過ぎに起きて美容体操を始め、その後天気がいいと洗濯をして午後1時頃には室内活動を終え…

いろおんな(1)

いろおんなは都立王子工業高校の正門前のアパートに住んでいた。私の教室は道路沿いの3階にあった。3年G組である。教室の窓から斜め向かいに木造モルタル2階建てのアパートが見えた。その2階の角部屋がいろおんなの部屋である。 始めていろおんなを発見…

読者のお便りから(4)

今回で「読者のお便りから」は一段落です。 「ぱーこシティ」はT先輩に紹介してもらい、以来ずっと読んでいます。最初の頃のダークさにはまってしまい、そのままのめり込んで、後は惰性的に毎週チェックしています。 今後のコラムの方針について、読者に意…

読者のお便りから(3)

今回は私と同世代の方のお便りを紹介します。 ぱーこさんへ 1.2.3.4.のいずれでも、と思います。同時代ですから、「当時、私は何をして、どう考えていたかな」と思い出しながら、これまで、読ませて頂いてきました。もちろん、体験したこと、感じた…

読者のお便りから(2)

今回は面識ある方のお便りを紹介します。 こんにちは。今年(いや去年か)は文化祭でお会いできなくて残念でした。お菓子研究会がなくなっていたり、第九の変わりにDJブースができていたりと世は人につれ、だなあと思いました。それが学校の自然な姿なのかも…

読者のお便りから(1)

学級通信の裏に連載してきた自伝シリーズのストックがつきた。それまでは一度人目に触れたものを点検して発行すれば良かったが、これからはそういうわけにはいかない。窮余の策として読者の方の感想を募集(偉そうに!)したところ、さっそくお返事をいただ…

私の大学時代(24)

「先生」と助教授を呼ぶと「さんで呼びなさい」と注意された。一番どんじりの私でさえ、「さん」付けで呼ばれた。だからゴミも各自、自分で捨てるのである。 私は自分が世の中にとってなんでもない存在だと思い知ったから、ともかく人の役に立つことを自分か…

私の大学時代(23)

ちょうど大学も最終学年になっていた。5年目の4年生である.理学部生物学科では、各研究室に所属することになっている。3年生の終わりに自分が行きたい研究室を希望する。 2年生の時に概論の講義があり3年生の時に実習があった。実習はほとんど必修だか…

私の大学時代(22)

3回にわたり1973年の日記を転記してきた。全部載せてコメントをつけたい気もあるが、それをクラス通信の裏面に載せるのは適当でない。その企てはあきらめることにする。 要するに、私には先のメドがまったく立っていなかった。腰を痛めたので、現場の仕…

私の大学時代(21)

1973年の日記の引用をもう少し続ける。 2時から5時までヒマになった。都立大学駅周辺をウロついた。はじめて歩く道が多かった。民族品を扱っている民家があった。1時間少し歩き回っていると、クタクタになった。ラーメンを食べた。ここの女の子はちょ…

私の大学時代(20)

10月1日。夢。工事している。そこは学校なのだった。セーラー服をきたF洋美がいる。おまえ何年だ?3年。中学3年か。S照子もいた。さめてくる。 あいつら22か。そんなことを思いなおしている。 FさんもSさんも中学時代のクラブの後輩である。私が…

私の大学時代(19)

私はその転機の時、自分に関するある発見をしたと思い日記に書き記した記憶がある。そこを引用したくなったので、当時の日記を押入から引っ張り出した。大学ノートに黒いインクで書き込まれた日記のその筒所を探していくうちに読むのをやめられなくなった。…

私の大学時代(18)

小笠原に行ってからのことは機会があれば「私の教員時代」にでも書いてみたい。そうやって私は東京都の教員になった。大学6年間は社会に出るための準備期間だった。 前半はバイトばかりしていた。後半もバイトしながら必要な講義だけ出席した。とても真面目…

私の大学時代(17)

予想通りの質問で一安心すると、不得意なことは何か?と聞かれた。意地の悪い質問である。得意なことを聞かれたのなら返事のしようがあるが、出来ないことを答えるのである。私は、注意するのが苦手です、と答えた。 すると右はじにいた年輩の男のめがねがキ…

私の大学時代(16)

タクシーから降りる時に「ほら、**さんしっかりしなさいよ」と酔っている私を車から運び出した。なんだか世話女房みたいである。彼女も酔っていたのかもしれない。私はタクシー代も払わなかった。彼女はまた車に乗り込むとそのまま帰った。 それ以降その人…

私の大学時代(15)

翌年にTさんから年賀状をもらった。静岡の教員採用試験に合格して中学校の数学の教員になるという。私は不合格だった。私が受かっていれば静岡の教員になり、もしかすると彼女と同じ職場になり、「あ偶然ですね」とか始めの挨拶の言葉まで準備する白昼夢の…

私の大学時代(14)

体を壊して現場仕事をやめた後始めた教育関係のバイトがまずまず好調だったので、教員になることを思い立った。ところが自分は教員になどなれるわけがない、と思っていたので、教員免許に必要な講義をとっていなかった。 特にその気がなくても教職課程はとっ…

私の大学時代(13)

そんな風にバイトを現場の仕事から家庭教師関係に変えて大学に通った。生物学科は理系だから午後はほとんど実験だった。出席してレポートを出さないと成績がつかない。成績がつかないと単位が出ない。いつまでたっても卒業できない。 学生運動に少し顔を出し…

私の大学時代(12)

小学生相手の勉強合宿の講師は、なかなか面白かった。休み時間に子供らを相手に遊んでいると男の子は首にしがみついてきた。上級生の女の子はもう十分女性でそういうふざけっこを少し離れて冷ややかに見ている。先生と呼ばれるのに少し違和感を感じたが、相…

私の大学時代(11)

大学に入学して2年の内に両親が亡くなり、バイトに明け暮れた後2年落第して、一度はやめることも考えた。先に当てがあるわけでもない。工事現場で腰を痛めたのを機にその仕事をやめ、家庭教師関係のバイトでなんとか食いつないで6年かけて卒業した。 大学…

私の大学時代(10)

母の死因は窒息死だと思われた。姉が用意したおにぎりを喉に詰まらせたのだろう。体力の弱っていた母はしらすやちぎったほうれん草の入った栄養のある冷えた握り飯を嚥下できなかったのだ。 第一発見者は私である。長い間、私は母の死んでいた部屋の印象をな…

私の大学時代(9)

母が死んだのは父の亡くなった3月ほど後だった。母は私が小学校3年生の時、私が出演した学芸会の劇を見るために外出して以来、家から出なかた。だから晩年12年ほどは寝たきりで過ごしたことになる。 診断名は更年期障害というものだった。コウネンキショ…

私の大学時代(8)

私は病室の掛け時計を見て時刻を確認した。医者はいつ宣言しようかとその時期を見計らっていたようだった。2番目の姉がわっと布団の足元にすがりついて「お父さん!」と言った。まるで安手のドラマみたいだ、と思った。 それから父の入れ歯を外すことになっ…

私の大学時代(7)

成績のことを書いたらもう大学時代が終わった気分になってしまった。以下、時間にそっていくことはやめて、思いつくエピソードを述べてみたい。 大学時代に両親が亡くなった。授業に出ることをやめて、バイトばかりしていた時期に家を出た。家といっても4畳…

私の大学時代(6)

そして残りの専門課程も3年かかったから結局6年かけて卒業したことになる。これに浪人3年が加わるから人より5年遅くなり卒業したときは27歳になっていた。 まともな民間の就職は無理である。バイトに明け暮れて、ひそかに作家になりたいなどと思ってい…

私の大学時代(5)

大学に集合して各集会場に行くときは、中庭で決起集会を開いた後で、通用門から道路に出た。その時のことである。先頭の旗持ちが通りがかりの八百屋の軽トラックを止めた。運転手は仕方なく車を静止させたものの顔をしかめて露骨に嫌な表情をした。 「急いで…

私の大学時代(4)

逮捕者の出たのは6・15の樺美智子追悼集会で、これは日比谷の野音が集合場所だった。日比谷公園の緑が強く匂っていた。梅雨空から小糠雨が降りしきっていた。 私は都立大学の隊列の中にいた。隣には化学科のHという新入生がいた。特に政治的な主張もなく…

私の大学時代(3)

学生運動のビラには、現在の政治状況、それに反対するための集会の日時と場所が記載されていた。私が多く参加したのは全学共闘会議、略して全共闘の集会だった。共闘、というとおり政治的な主張は違うが、共通項があれば共に行動しよう、というのが趣旨だっ…