私の大学時代(12)

 小学生相手の勉強合宿の講師は、なかなか面白かった。休み時間に子供らを相手に遊んでいると男の子は首にしがみついてきた。上級生の女の子はもう十分女性でそういうふざけっこを少し離れて冷ややかに見ている。先生と呼ばれるのに少し違和感を感じたが、相手がなんのためらいもなくそう言い放つのですぐに慣れた。

 先生というとなんだかえらそうだが、実際のところは肉体労働で小学生相手の教師稼業は体力勝負であることがわかった。合宿期間の私の勤務評価は良く、塾長から家庭教師を紹介された。小学4年生の女の子で中学受験を考えているが、成績が良くないので個人指導をして欲しい、というのである。週一回2時間の契約で引き受けることになった。

 京成線の沿線にあるその家に行くと、30代半ばの母親が出てきた。「ささ、先生どうぞどうぞ」と中に入れられた。母親は顔立ちの整った美人だった。だが眉の間に立て皺を寄せて髪もゴムで束ねて身なりにかまう余裕もない、といった様子だった。それでも化粧はしていたが、肌が荒れていて化粧ののりは悪かった。もう大変、それどころじゃない、という感じである。

 「ほら、先生にご挨拶しなさい」と言われた娘も母親ゆずりの可愛い顔立ちだった。その子は無言で軽くお辞儀をしたあとすぐ下を向いた。そして自分の部屋に黙って入っていってしまった。いやいや家庭教師をつけさせられてご機嫌ななめなんだと思った。「人見知りを時々するんですよ」と前置きして母親は、ズイっとすがりつくように顔を私に向けて娘の状態から親の願い、果ては夫の不満まで途切れなく話し始めた。

 結局週1回そこに通った。成績は少しも良くならなかった。本人にやる気がないのだから仕方がない。私にもやる気を出させることは出来なかった。暮れになって、自営業の父親に接待されて行ったのは新小岩のクラブだった。薄暗い中で薄物をまとった女性が手を私の膝に当てて酒をついでくれるような店である。

 少し酔うと父親は「先生はいいよな」とつぶやいた。娘の成績が上がらなければ私に支払う月謝はドブに捨てたようなものである。私に返す言葉はなかった。そんな事もあって、この家庭教師は6ヶ月ほどで終わった。

 教師が楽をしようと思えば、ともかくいい生徒を教えればいいのである。私は塾の講師をしながらいくつか家庭教師もした。一番楽だったのは生物学科の大学院生が紹介してくれたものだった。高校2年生の男子である。本人は文系志望だが必修科目に物理があって、それが出来ないと進級できない、及第点さえ取れればいい、というものだった。

 名のある進学校にいっていた彼は、努力型の秀才ではなく飲み込みの早い要領のいい生徒だった。その学校の物理講師の教え方が下手なので、嫌になってしまったのである。私は過去の定期試験の問題を見せてもらって、傾向をつかみ対策を立てた。教科書の章末問題を少しひねった程度の問題だった。

 なんで彼が出来なかったかというと、初めの定義や用語の意味が分からなかったのである。教科書を少し説明すると、あとは自分で考えてやっていた。私は教科書の問題の解答を考えておけばいい。それまで、1桁だった定期試験の成績は、一挙に80点にもなってしまった。

 カンニングをしたのではないかと物理の講師は思ったらしく、試験の答え合わせの時に彼を指して皆の前で問題を解かせたらしい。勿論正解だった。「軽い軽い」と彼は言っていた。母親からも大変感謝された。

 「本人が出来るからですよ」と事実を言うと、そんなことはない、と月謝に色を付けてくれた。進級に必要な点が取れてしまったので、その家庭教師は3回程で終わった。

2000.3.5

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 あとがき:公立高校の教員には人事異動がある。教員が「いい学校」にいきたがるのは今回触れたような事情があるからである。2人の同僚から同じ内容の言葉を聞いたことがある。「授業で報われますよ」と言ったのは、前の学校の教頭である。彼は名のある進学校から定時制の教頭になった。管理職だったが授業も担当していた。勉強の苦手な生徒からの評判も悪くなかった。私がその定時制から現在の職場(定時制の単位制)へ異動になるとき、考え直したらどうですか?との意味を込めてそう言ったのである。

 もう一人はやはり定時制時代の同僚で「報われない」といつもぐちを言っていた。教科内容の知識量は正確膨大で仕事の速い人である。生徒の評判は良くなかった。まれに、いい先生だ、という生徒もいないわけじゃないが、おおむね授業が速すぎる、試験が難しい、と不評だった。その先生も全日制の進学校を2校ほど経験した後に私と同僚になったのである。この「報われない」をまったく別の場所で別の人から聞いたので印象深かった。(2001.12.22)