読者のお便りから(3)

  今回は私と同世代の方のお便りを紹介します。

  ぱーこさんへ
 1.2.3.4.のいずれでも、と思います。
同時代ですから、「当時、私は何をして、どう考えていたかな」と思い出しながら、これまで、読ませて頂いてきました。もちろん、体験したこと、感じたことは異なりますから、よく言われ、近頃頓に嫌われる「団塊の世代」と一括りにするな、という思いはあるものの、その前後の数年違いの人たちとは異なる共通性を感じることがあり、、やはり「一括り」の意味があるかなーなどと。この50年間の社会の激変の「語り部 」 的存在、「プロジェクトX」より面白い。

 この方は職場の同僚です。一緒に仕事をしてもう11年目になります。クラス通信にして生徒諸君に配るついでに「これは」と思う同僚にも配っていました。一番始めに感想をもらいました。と言うか、よくメール交換をしています。職場内のことが多いです。帰りにちょっと一杯、てなことがあればそこで話されるような内容。事務連絡もあります。「プロジェクトX」などと比べられると、なんだか恐縮。今年は同じ分掌になりました。あ、女性の方です。これってメル友じゃん。外務省高官のようなラブ・メールは送れませんが、今年もよろしく。

 突然で失礼します。私の大学時代を、楽しみに読ましてもらっています。私自身、山間僻地より地方の大学に入学して、東京周辺で土木の技術者として働いていました。しかし、東京になじめず現在出身地で公務員として細々と生活しています。私自身、現在50歳となり読ましていただいて、共感すべきことが多い。たぶん、同世代だからでは、、、、、、。できれば、なんらかの形式で発行いただければ、うれしく思います。

  始めてお便りいただきました。自伝シリーズは「言い放し」のスタイルをとっているので、他のインターネットアイテムより感想が送りにくいんだと思います。まったく知らない方からの反応はとても心強いです。NHK生涯学習講座には「自分史」がありますが、われわれ20世紀後半を生きてきた者みんなで自伝シリーズをやったらきっと面白い。この方の自伝も読んでみたいな。このお便りに書いていただいたことだけでも、ずっしり重み感じました。

 ぱーこ自伝シリーズの中で一番気に入っているのが,私の浪人時代です.その次がバイト時代です。「私の浪人時代」をドラマ的展開にして書き直してみてはいかが でしょうか.きっと面白いと思います.最近のお子さま達は,ご飯が食べられなかった時代が日本にもあったということが理解できません。その辺を分からせてやりたいです。バイトにしても生活のためのバイトではなく,バイトの原点を知らしめる意味で有意義だと思います。期待しています。

 もう2年ほどお世話になっています。「算数道場」の師範、算達先生です。ぱーこシティにリンクがありますので、関心のある方はどうぞ。なんどか感想もいただきました。職種が同じなので、共感することも多いです。「浪人時代」は書かずにはいられない、という逼迫感がありました。バイト時代もその続きで、自分でも愛着があります。そういうところをちゃんとわかっていただいていつも感謝しています。これからもよろしくお願いします。

 「十九歳の地図 (1979/日)」という映画があります。中上健次原作、柳町光男監督作品。この映画がまさに「私の浪人時代」の時代と場所でした。ドラマにするのなら、いっそ現代にして広末涼子さんなどにご出演いただいて、映画にしたのを私は見たいなー。

 学生時代の貴兄にとても好ましいものを感じました。長期間の連載に敬意を評します。面白いものを読ませていただきありがとうございました。

 一番多く感想をいただいた方です。編集のお仕事をなさっていた(いる?)と記憶します。自分で秘かに「これはうまく書けた」と思ったときには、すかさずコメントをいただきました。それがまったく的確なので、いい加減なことはできないな、とそのたびに思い知らされます。ありがとうございました。その感想メールは取っておいたんですが、ハードディスク・クラッシュで消えてしまいました。他はあまり残念でなかったけど、これは惜しかった。以前のご要望に「東大時代」はどうだったのか?というのがあったと思います。まだ、スタンスが固まりません。いましばらくのご容赦をお願いいたします。

 2002.4.14

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 あとがき:自伝シリーズは当初生徒諸君に向けたメッセージを意識していた。同時になんだか嫌らしい教員根性もあった。おれは工業高校卒で東大まで行ったんだから君たちもがんばれ、という尊大な押しつけを含んでいる。なんとも恥ずかしいことである。そういう気持ちはまだ少しある。でも最近は、そういうこともあったな、と思えるようになってきた。担任を離れたので、HR通信もこの3月で終わった。少し自由な立場で振り返ることができるのではないか、と自分で期待している。