私の大学時代(19)

 私はその転機の時、自分に関するある発見をしたと思い日記に書き記した記憶がある。そこを引用したくなったので、当時の日記を押入から引っ張り出した。大学ノートに黒いインクで書き込まれた日記のその筒所を探していくうちに読むのをやめられなくなった。目的のところはなかなか見つからない。当時の様子を述べるために少し引用してみる。

 以下1973年のものである。

  10月14日。腰が痛んでいる。朝起きたときからすでにイタイ。以はこうでなかった。少なくとも一晩寝ていれば、朝は、痛まなかった。ラバーフォームを敷いているのがいけないのかもしれない、と思って、昨晩は外してみたのだった。夏の間、そうしていて、調子が良かったからだ。効果なしだ。入院して手術でもしなければならないか。金はどうするか。そういうことをしばらく考えた。その間もおさまらない。あおむけに横たわっていても痛い。椅子に座った方がまだ少しはいい。乳児みたいに膝でハイハイする姿勢もいい。じっとしているとまずい。動いているとまぎれる気がする。それでウロウロ落ち着かない。明日医者へ行ってみるか。診察券が見あたらない。じっとしていると落ち着かなくて貧乏ゆすりしたり、胸が切羽つまってくる。

 この年10月13日から始まった腰痛は、15日病院へ行った後少し治まった。しかし翌16日にはまた痛んでくる。この仕事はやめないといけない、と思いつつも言い出すことが出来ず、あと1年ほどは続けていた。このノートの最後にはこの月に出勤したバイトの記録がある。2松戸・3松戸・4松戸・5松戸・6品川護国寺・8松戸・9護国寺・10松戸・11松戸・12松戸・13松戸・17松戸・19松戸・23松戸・24松戸・27松戸となっている。そういう体の状態で月の半分は工事現場で仕事をしていたことになる。松戸の現場は20階の高いタワーだった。新宿方面を見ると、当時建設中だった西新宿の高層ビル街を望むことが出来た。私は24歳、入学して4年目だが、やっと3年生の専門課程に進級できたところだった。

 夢の記録もある。

 9月21日。朝の夢。

犬と人間の混合レースがある。ぼくは丘になっている墓の上をかけぬけ塀を乗り越えてゴールについた。なんとか入賞したのだ。秋川リサと井上順がいた。ぼくは男だから秋川リサに祝福のkissを受けることになった。秋川リサはぼくの左の頬に唇の先を丸く突き出して押しあてた。ぼくは目を閉じたが、いつまでたっても吸うのをやめないのである。彼女の唇があてられているところから、熱いシビレがジーンと広がってきてぼ-っとしてしまう。一度、目を開いて、みると、彼女は目を閉じて、やはり吸い続けている。いつまでたっても離れなかった。

 秋川リサがモデルからタレントになった頃の事だと思う。彼女はまだ10代のはずだ。井上順がスパイダーズ解散の後、タレントみたいなことをし始めた頃だろうか。27年前のことである。お二人ともいまだにTVに出ている。

2000・11・17

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 あとがき:ここから自伝シリーズは転機をむかえる。クラス通信の裏に掲載した意図は「君たちも大変だろうが、先生などと呼ばれている私の若いときは禄でもないものだった。それでも教員になれた。諸君もあきらめないでほしい」といったものだと思う。動機はやや不純である。立場上、説教をたれているとも受け取れる。その「お説教」のネタを探して昔の日記を引っ張り出した。読み返してみると、個人的には大変興味深い。だがクラス通信に載せるとなると、適当でないとも思えた。その迷いが出ている。日記を写すに当たっては実名を隠したくらいで、そのまま書き写した。当時思った感想や意見は恥ずかしいものが多い。ただ事実(日付・場所・ものの値段など)は私にとって貴重な記録である。(2002.2.9)