読者のお便りから(2)

   今回は面識ある方のお便りを紹介します。


こんにちは。
今年(いや去年か)は文化祭でお会いできなくて残念でした。
お菓子研究会がなくなっていたり、第九の変わりにDJブースができていたりと世は人につれ、だなあと思いました。
それが学校の自然な姿なのかもしれませんね。
メルマガ楽しみに読んでます。
続きにぜひ私の大学時代2(東大に通った11年間)を読んでみたいです。
時間軸の流れ的にはどちらがさきなのでしょうか。

それでは、また


 この方は20代の女性です。私の生物の授業を取っていました。それ以外のつながりはありません。インターネットが始まって、偶然この人のサイトに行って書き込みをしました。その時、私のサイトもお知らせしました。それで購読してくれたんだと思います。メールマガジンって誰が読んでいるかわからないので、彼女が読んでくれているかどうか良くわかりませんでした。

 そのサイトは繊細な作りでイラストも上手でした。彼女にそんな絵の才能があるとはしりませんでした。教員ってのは実は何にもしらないんです。知っていると期待されているだけで、その期待は実に良く破られます。少なくとも私にはわからないことが多いです。

 一昨年の文化祭では3階エレベーター前で偶然遭遇、熱い(?)抱擁を交わしてそばの模擬店で一緒に何か食べました。昨年も文化祭に行きます、と連絡はもらっていました。当日、私は文化祭担当であちこちかけづり回っていました。受付の名簿で彼女が来ていることは知っていましたが、会えませんでした。後日、メールを打った記憶があります。

 時間的には、学生時代1のあとは教員時代1(これが3年間)来て、その後、学生時代2と教員時代2が同時になります。東大に通い始めた頃は、なんだか東大ってすごいだろう、と自分にも他人にも見せびらかしたい気持ちや、いい年して学生やって少し恥ずかしい、という気持ちや、その他、もろもろあって、混乱していました。

 最近はもうどうでもいいや、と思って来ているので淡々と事実を投げ出すことができるかも知れません。

私の大学時代のあとについて。アンケート。
ぼくのきぼうは4です。外伝。超外伝
小学生のときも気になるけど。

  なんかもうウソだらけではじけてください。修行にでて、ビームを撃てるようになるとか。

毎回さいごにぱーこ氏のステータスを書いていくの。

レベル08 体力53(歳?? 気力09)
呪文:ぶつぶついう ゆっくりあるく
新しく覚えたじゅもん:たばこをすう ブースと面と向かって言える

  とか。

あ、めんどくさいだろうので返信はよいです。あやしい人気者のぱーこ氏は大忙しそうでなにより(?)です。では。

  続いて卒業生、20代の男性です。私が顧問をしている演劇部のOBです。演劇的な実力は当時ピカ1、TVにも出演していました。地方から上京して単身バイトしながら通学。苦学生という言葉はもう死語でしょうが、なかなか謎の多い方です。さらさら描くマンガが絶品で毒を含んだ切り口は絶妙です。対象と少し距離を置いたシニカルなスタンス、高校生とはとても思えない現実感覚、私は秘かに「デカプリオ」と心の中で呼んでいました。現在もバイトしながら自分の進む道を一人歩んでいます。

  彼が在学していた時期が私にとっては一番印象深いです。演劇部第3期と勝手に名付けています。先カンブリア期、古生代と来て恐竜が跋扈した中生代を思わせる。火を噴くドラゴンもいた時代です。その時期の卒業生(中退生)諸君は、それなりに自分の場所を築きつつありますが、彼はまだ本領発揮していない感があります。気になっています。

 ロールプレイングゲームのアイディアはなかなか心惹かれるもがあります。目次につけるか、あとがきに使えそうな発想だなーと思いました。ダイの大冒険は結構TVで見ていました。

 80年代の始めに任天堂ファミリーコンピューターを発売して、一番始めにやったゲームがそれについていたアクションゲーム”チャレンジャー”で次が”スーパーマリオブラザース”そして”ドラゴンクエスト”だったはず。私のゲーム時代、って題で考えたことはあります。もう20年たったと思うと、なんだか釈然としません。20世紀後半から時間感覚は違ってきているのかもしれません。

 外伝も中断しています。まだまだネタはありそうです

 
 今日は、
久しぶりにお便りします。
私は先生の何を見て尊敬の念を抱いていたのか?又、何年もお会いしていないのに親近感を感じるのは何故か?先生とは?又生徒とは?こんな気持ちでキーを叩いてます。

先ず(ぱーこ)先生の表面的にも発するオーラ感じ取れ、どんな形でも素直に、先生と呼べる方との接点があることを嬉しく思います。実際先生の発する文章を読ませてもらい、勉強になることが多く、また、教育の末端にいることを、最近は、誇りを持って現職に従事しています。

(ぱーこ)先生のおっしゃった、「教師は、三師であり、五師にもなる」このくだりには特に感銘を受け、私は現場には居ませんが、現場を担当する、若手へつなげて行きたいと思ってます。

(ぱーこ)先生とは?こんな疑問というか、へんちくりんな事を考えているのは、私だけかもしれないんですけど、その疑問は、メールマガジンを通して徐々に解明していきそうです。(こんな楽しみ方でスイマセン私は時間の使い方が上手くないようです。

生徒としてのリクエストですが、先生としての子育て論や、教育理念をザックリ。それと、これからの教育について先生の主観。
(ぱ-こ)先生の先生が言われたと言う、現役先生引退後の事(プラン等)

(ぱーこ)先生に限っては、引退後は公園で鳩に豆まきなんて事はしないでください。(ぱーこ)先生のスタンスを未だ、あらゆる事に興味を持っていない生徒に、与え続け、発信し続けてください。

親子の関係が、覆らないのと同じく、師と徒の関係も覆りません。一児の父と成りましたがマダマダ学ぶ事が多く、同時に教える事をサボっていた事に気づき、反省し、そして先生の発する知の共有を、楽しみにしています。
長々と一方的に書きました。未筆に付き無礼がありましたらお許しください。

 10年前に担任をしたときに私のクラスにいた方です。「尊敬」などと言われると、内気な私は思わず誤解です、と失礼なことを言いたくなってしまいます。人間関係はお互い様なので、ありがたく「尊敬」されます。教育関係のスタッフをしている(それも管理的な)と思います。浪人時代にお世話になったところと関連のある職場です。

 この時はまだ自伝シリーズを始めていなかったので、印刷版は渡していません。1年で必要な単位を取ると卒業して、中国へ留学しました。なんだか馬賊のような感じがして、気宇壮大と勝手に思っていました。

 「教師は三師であり、五師にもなる」というのは私の大学時代(13)にあるくだりで、そういう先生がいたらいいなあ、という私の願望で、もちろん私がそうだというわけではありません。私の高校時代を保護者の会の会報に載せたとき、それを見た当時の校長から、本を出すから書いてみたらどうだろう、とお誘いがありました。「教師が飛躍するとき」-学陽書房という教育関係の出版社から発行されました。本屋さんに並ぶちゃんとした本です。私は作家になりたい、などと思ったことがあるので、お受けしました。もちろん共著で10何人かの一人です。その原稿に書いたことをほぼそのまま使いました。

 私には娘が一人います。私をぱーことよんだのは、この娘で親ばかを承知でいえば、変わり者のいい子です。大学の3年生になります。私は未だに娘が2歳の頃のことを持ち出して、妻に笑われています。私は論をなす人ではありませんが、子育てや教員生活の自分の経験なら語ることができると思います。それはいずれ教員時代2でやってみたいです。

 そろそろ現役を退きたいんですが、生活のことがあって、もう一仕事しなくてはならないんだろうな、と思っています。引退後はイエスの箱船の千石イエスさんやバック・トウ・ザ・フュチャーのドクみたいなのがいいな。鳩に豆まきもしたいんだけど、鳩が食べてくれるかな。

 今後ともよろしくお願いします。

 2002.4.3

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 あとがき:春休みに少しまとめてストックを作っておこうと思っていた。例によって休みにはならなかったので、致し方ない。学期が始まってから、なんとか時間を捻出して続けていくしかあるまい。時間はその気になれば作れるが、そういう気分になるのが難しい。まあ、自己満足で始めたことなので、「満足」を損なわない程度にやっていくつもりである。( 2002.4.3)