高校時代

さよならだけが人生だ(2)

始めの意気込みとは逆に淡々と卒業式は終わった。教室に戻って簡単な事務連絡があり、それからロッカーの整理をして、1度帰宅した。本番はこれからだった。夕刻から飲み会がある。先輩たちが企画したのである。 卒業した高校の1学年は7クラスあった。機械…

さよならだけが人生だ(1)

私は都立王子工業高校を昭和42年3月に卒業した。卒業式前後のことを述べておきたい。 卒業式では、答辞を読んだ。それは生徒会長をやっていたからである。なんで生徒会長なぞやっていたかというと目立ちたかったからだろう。立候補者立ち会い演説会の時に…

寺山修司(3)

これから出社する勤め人に混ざって、あらかじめ調べた地図の通りに進んだが、いつまでたっても文化放送らしき建物は現れなかった。そのうち番組の始まる時間になってしまった。あわててハガキに書いてある番号に赤電話から連絡した。交換の女の声の後で、男…

寺山修司(2)

マッチ擦るつかの間海に霧深し 命捨つるほどの祖国はありや 寺山修司の代表作のひとつ。この歌をもとにした劇を下北沢の本多劇場で見たことがある。つい3年ほど前である。なんだかよくわからない芝居だったが、いかにも60年代末期の感じが出た演出でそれ…

寺山修司(1)

私が高校生の時、寺山修司がメディアに登場した。それは今までの文化人の登場の仕方と違っていた。たとえば東京スポーツの競馬欄に出ている。ギャンブルは神に通じる、なんて記事を書いていたと思う。 変わった歌人・詩人というふれこみ。TVにも出てきた。…

いろおんな(3)

私とSは教室で野球部が戻ってくるのを待っていた。野球部はなかなか帰ってこなかった。それで2人して様子を見に廊下へ出た。校門の方へ向かうと野球部が廊下の角から現れた。 野球部の様子に特に変わったところはなかった。彼の話はこうである。校門を入っ…

いろおんな(2)

それからクラスの話題はいろおんなで持ちきりだった。休み時間やうるさくない教員の授業中はみないろおんなのアパートに注目した。その観察によると、彼女は朝10時過ぎに起きて美容体操を始め、その後天気がいいと洗濯をして午後1時頃には室内活動を終え…

いろおんな(1)

いろおんなは都立王子工業高校の正門前のアパートに住んでいた。私の教室は道路沿いの3階にあった。3年G組である。教室の窓から斜め向かいに木造モルタル2階建てのアパートが見えた。その2階の角部屋がいろおんなの部屋である。 始めていろおんなを発見…

私の高校時代

私は昭和三十九年(1964) に都立王子工業高校電子科に入学した。ここを選んだのは、近かったのと家の経済状況と当時自分がラジオ工作などが好きだったからである。 父は千葉県から上京して、蔵前工業(現東工大)を卒業して、都の役人をやった後、「はんこば…