いろおんな(1)

 いろおんなは都立王子工業高校の正門前のアパートに住んでいた。私の教室は道路沿いの3階にあった。3年G組である。教室の窓から斜め向かいに木造モルタル2階建てのアパートが見えた。その2階の角部屋がいろおんなの部屋である。
 
 始めていろおんなを発見したのは、窓際に座っていたKだった。たしか3時間目の古典の時間だった。古典の教師は額にほくろのある小男で、俳句を やっていた。雑談にやたらと秋桜子先生が、と口にした。そのしゅうおうし先生に直接俳句の手ほどきを受けているらしい。工業高校電子科の生徒にその名を知っているものはいなかった。
 
 私にしても高名な俳人だと知ったのは、浪人時代の文学史の年表を見た時である。古典の授業などみんな苦手だったが、それでも我慢して座っていた。その教員は教卓に座って、生徒の方を向いて授業した。たまに板書した。さすがは国語の教員で黒板の字はきれいだった。ただし時間がかかる。その時は音を立てなければ息が抜けた。
 
 教師が立ち上がって板書を始めてまもなく、窓際のKが立ち上がって窓から体を乗り出した。Kの後ろの生徒は何が起こったのかわからなかった。Kは興奮した様子でそのアパートの方を指さした。2階の角部屋の窓が開き、そこに女の裸の脚が動いていたのである。
 
 教室に衝撃が走った。窓際から3列目までのやつは音のしないように窓際ににじり寄った。廊下に近い列のやつらは自分の席から離れることなく、その場で棒立ちになったままつま先立っていた。女の脚は逆さに自転車をこぐような動きをしていた。背後の気配を察したのか、古典教師はチョークの手
 を止めた。黒板に近い生徒はすぐさま気がつき、席に着く。それを見た後ろ
 の生徒もそれに続く。
 
 「なんだ」と言って教員が振り返った時は、みな自分の席にもどって、かろうじて座っていた。みな妙に押し黙って下を向いていた。男子校である。30年以上前である。平凡パンチが創刊された頃である。ビスにナットを閉めることからもあのことを連想する。そういう頭と体が30以上も教室に座っているのだ。
 
 古典教師はそれ以上追求することなく、授業を済ませた。教員が出ていった後、みな窓際に殺到した。2階の窓にはピンクのカーテンが引かれて中は見えなかった。そのカーテンの向こうに午前中からその脚を空中にさらす若い女が住んでいるのだ。発見者のKはいろおんなだ、と言った。その命名はただちに教室中で承認された。そういう言葉はスポーツ新聞やラジオの中だけにある言葉だった。それがあの正門前のアパートに住んでいるのだ。
 
 このクラスは入学時42名いたが、3年の時は34名になっていた。みないろいろな事情があったのだろう。現在では、そういうことはそれほど異例なことではない。ただ当時は高校を止めることは今より大事件だった。それで私もその数字を憶えているのである。そんな風にしていわば「生き残った」生徒たちのクラスなので、けっこうまとまりは良かった。


(2001前後 演劇部HP)