私の大学時代(15)

 翌年にTさんから年賀状をもらった。静岡の教員採用試験に合格して中学校の数学の教員になるという。私は不合格だった。私が受かっていれば静岡の教員になり、もしかすると彼女と同じ職場になり、「あ偶然ですね」とか始めの挨拶の言葉まで準備する白昼夢の世界に相変わらず突入していた。そういえば浪人時代の時も同じ様な事を考えていた。まったく懲りない奴である。

 不合格の理由ははっきりしている。静岡・埼玉・神奈川とすべて物理の採用試験を受けたからであった。生物学科卒業生は生物の試験を受けるのが普通である。ただ教員免許は理科で交付される。生物の免許というのはない。物理・化学・地学の受験資格ももちろんある。

 工業高校には生物の授業がなく、大学最後の1年間だけは真面目に通ったが、あとは学生運動の尻尾について回ったのと現場を始めとするバイト暮らしである。とても生物を専門にやりました、とは言えない。電気関係は好きだったし、物理は得意のつもりだった。

 大学入試では物理と生物を選択した。物理の方が点が良かった。それで、理科の中で教えるのなら、物理がいいと思って採用試験を受けたのである。高校の範囲なら自信があったが、出た問題は物理学科の2,3年でやる物理学概論の範囲だった。とても手が出なかった。

  受験した後で、これは無理だな、と思ったがもう願書を出してしまったので、変更する訳にいかない。当時東京都の採用試験は10月頃で一番遅かった。まだ東京は出願可能だった。それで、東京だけは生物で出願した。

 夏休みに、出題傾向が違うかもしれない、という勝手な解釈で残りの神奈川・埼玉と受験したが当然だめだった。最後は最難関の東京である。東京は一番教員の勤務条件がよかった。倍率も高い。東京の問題は基本事項がまんべんなく出る。だから合格点が高い、と言われていた。9割はとらないとあぶない、というのが私の得た情報である。

 通信添削で大学に受かった私は、このときも実務教育出版の教職課程の通信添削で勉強した。一般常識と教職教養はこれでなんとかなる、と思った。問題は専門の生物である。出題は5題。4題以上は解かなくてはならない。
 
 私はここで山をかけた。出題者は年輩の指導主事などであろう。だから昔の本を勉強すればよい。古本屋で確か250円の20年ほど前の生物問題集を見つけた。執筆者には大学教授の名前はなく都立高校の先生の名前だった。それを3度ほどやった。内容が古くさかったが、ともかく覚え込んだ。受験会場は渋谷の青山学院大学だった。

 その250円の本から丸々同じ問題が3題も出たのである。少しわからない問題(クエン酸回路の有機酸を答える問題)があったが、残りは完璧である。これはいけるかもしれない、と渋谷に向かう歩道橋をかけ登ったのを覚えている。

  同じ教育実習生でやはりN女子大から来た美人はしばらくしてTVに出ていた。NHKの朝のテレビ小説が終わった後の主婦向けの番組で、アシスタントのようなことをやっていた。

 知った顔がテレビに写ったので、驚いた。そういえば彼女は教職は免許を取るだけで、マスコミ関係の求職活動している、と言っていた。なんでも静岡の旧家のお嬢様で英検もとっくに1級の資格を持っていた。

 美人にありがちなお高くとまったところもなく、気さくな性格で、実習生の最後の飲み会の時、方向が同じだったので、タクシーで一緒に帰った。私が先に降りたので送ってもらった形になった。

2000.6.29

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 あとがき:このときの倍率は20倍ほどだった。今はもっと倍率が上がっている。倍率が高いとそれだけでビビるものだ。皆と同じことをやっていたら受からない。この山カケは成功した。運というか偶然というか、そういう曖昧なもので就職が決まってしまう。

 最近は、plan-see-do、とかいって、計画をたててよく調べて実施する、という方法論がはやりのようだが、それもほどほどにつき合って後は運に任せる、というのもあんがい正しいのかもしれない。少なくとも私に関してはそうである。人事を尽くして天命を待つともいうではないか。なんだか実業雑誌みたいで恥ずかしいが、そういうことなんだと思う。(2002.1.12)