私の大学時代(20)

 10月1日。夢。工事している。そこは学校なのだった。セーラー服をきたF洋美がいる。おまえ何年だ?3年。中学3年か。S照子もいた。さめてくる。 あいつら22か。そんなことを思いなおしている。

 FさんもSさんも中学時代のクラブの後輩である。私が中3の時、中1だった。使った金額のメモがある。バス40、エーガ150、250天丼、100セブンスター、150コーヒー、ジロリの女220。映画は池袋文芸地下で「濡れた荒野を突っ走れ」「新宿アウトロー」渡哲也と書いてあるから。日活を見たようだ。「ジロリの女」は坂口安吾の文庫本である。

 10月18日。晴。
 夢。おぼえているのだけ記入する。母はトイレにいきたい。体が弱っているので一人では行けない。姉たちやぼくをみて、訴えるような顔をする。ぼくが連れて行くことにする。母はピョンピョンはねて、小躍りしてよろこんだ。姉が「ほら、元気じゃない。大丈夫よ」というとまたクタクタとへたりこんでしまう。母の肩を抱きながらトイレまで行く。便器にまたがらずわきの板のところでしている。落ちるのがこわいらしい。そこを始末して母を連れてかえる。

 母はすでに1年半ほど前に亡くなっていた。なんどか母の夢は見た。たいていは看病の夢だった。9月の収入は69930円で、当時の物価から考えると、今なら20万円以上もらっている勘定になる。この18日は大学ノート3ページ分の記述がある。

  実習は今日で終わりだ。深沢の理学部の玄関から入る。守衛室のワキの階段を上って行く。中2階のトイレに入ると突き当たりの窓が半分開いている。そこにバッグを置いて、一番奥のを使う。柳がしなだれているのが窓一面に見える。晴れている日は、細い葉が黄緑に透きとおっている。実習室の窓からは銀杏の樹が見える。そのころは夕方で光はななめに差し込んでいる。葉がキラめいている。これを見るのが好きだ。2階のtoilは、やはり一番奥の窓のワキを使った。工学部と理学部の間の空き地にはススキや雑草が生い茂っている。

  S千恵子が隣にいた。ぼくはタンパクを細いガラス管に入れていた。彼女と組になっているT悦子にグチっぽい話をしていや。きのう寝たのが1時半、眠くて調子悪いわ。マキノに行ってお茶を飲んだ。T嬢が来て家中で風邪引いて寝てるんだって。その実習室には「されどわれらが日々-」が置いてあった。<わたし、男の人がこわいの。後ろにある生活がわかってくると。女ばかりの家で育ったせいかな>そんなことが書いてあるページが開かれていた。助手のYさんは「こんな本まだ売れているのか」と言った。

2000.11.17

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 あとがき:ほぼ20年後の現在の金額をわかる範囲で記入しておく。セブンスター250、バス210、エーガ1800、天丼480(てんや)、コーヒー400、文庫本500(ぐらいか)。見たはずの日活の映画は内容も思い出せない。現在の月収はこの6倍くらいである。このころの方が自分で使える金は多かったようだ。自分で書いてみて、だからなんだという気になった。当時も今も気持ちの持ちようはあまり変わりはない。このまま実習室にいってタンパク質を細いガラス管に入れる作業を続けられる気がする。収入支出が人生のすべてではない、と実感した次第。(2002.2.16)