寺山修司(2)

  マッチ擦るつかの間海に霧深し
  命捨つるほどの祖国はありや
 
 寺山修司の代表作のひとつ。この歌をもとにした劇を下北沢の本多劇場で見たことがある。つい3年ほど前である。なんだかよくわからない芝居だったが、いかにも60年代末期の感じが出た演出でそれだけで私は満足した。大学紛争の時代である。
 
  我が夏は憧れのみが駆けゆけり
  麦藁帽子かむりて眠る
 
 これはうろ覚え。初期の作品。こういうのも私は好きだ。することのない夏休みの感じが良く出ている、と思った。若い人向けの抒情詩集も出していた。そして「家出のすすめ」を説き「書を捨てよ、町に出よう」とアジっていた。
 
 その寺山がパーソナリティ(この言い方はもう少し後で使われたと思う)を勤めた番組があった。文化放送で朝7時から8時まで放送していた。その中の視聴者参加コーナー「1分間に一万語」は、1分間言いたいことを言っていい。生番組なので、ずいぶんとあぶない企画である。そういうライブの視聴者参加番組は深夜放送の電話トークぐらいで、すべて参加者に任せる、というのはいかにも寺山修司がやりそうなことと思えた。
 
 いざ聞いてみると、むしろ地味な印象で、ぼそぼそ独り言のようなことを言っている例が多かったように思う。それはそれで、変なリアリティがあり、毎朝学校へ行く前に必ず聞いていた。高校3年の私はこれに応募した。1分間、放送禁止の4文字単語を叫び続ける、というのがプランだった。そんなことが出来るだろうか、という想い、聞いた人はどう思うだろうか、という不安、そんな馬鹿な事はやめておけばいい、という臆病心、でもやることで何かが変わるかも知れない、という期待、誰にも言わないで秘密のうちにハガキを送った。
 
 返事は簡単なハガキだった。集合時間と場所が記載されていた。確か朝7時までに文化放送に行けば良かった。私はいつもより2時間ほど早く家を出た。家の者には生徒会の仕事だとうそを言った。私は生徒会長だったので、それは疑われずに済んだ。放送が終わってから通学すれば遅刻で2時間目から出席すればいい。その言い訳も考えたあった。
 
 文化放送国電の四谷から歩いて行けるはずだった。あらかじめ地図で調べた。そして四谷からの方向を頭の中に入れておいた。地図を持っていって調べながら行くのは、なんだかカッコ悪いし田舎モノみたいで嫌だった。
 
 高校は家の裏だったから、私は朝から通学で電車に乗る必要がなかった。ツメ襟のついた学生服をきて、朝から通勤客で混雑する電車に乗るのは変な感じだった。王子-田端-新宿、と来て中央線に乗り換えた。良く晴れ上がった晩秋の日で、寒い中を息しながら歩いた記憶があるから、11月の中頃ではなかったか。


( 2001 演劇部HP)