私の浪人時代(3)

 予備校には都電で通った。28年後の現在でも東京都に1路線だけ残っている早稲田線である。王子駅前から東池袋4丁目まで滝野川の住宅地の路地裏をぬって走っているような路線である。池袋の英進予備校の近くには戦犯を入れた巣鴨プリズンの跡地があった。ここにサンシャインビルが建てられることになるのである。当時はまだ更地であった。
 
 当時の英進予備校の時間割は午前中は英数国の主要三教科で、コース別に時間割が設定されていた。私は東大(名前だけの)理系コースだったので、英語数学各8コマ、国語4コマであった。これで月-金の20時間。午後は理科社会の選択講座で世界史生物古典を取った。土曜には毎週実力テストがあり、翌週には採点されコース別に成績順の上位50人ほどの順位、総合点、氏名、志望校、出身校が掲示された。受験生の必須5項目である。
 
 私は性懲りもなく秘かに予備校の女子学生に憧れることを繰り返していた。一方的な片想いである。座席は決まっていなかったので相手の名前はこっそりななめ後ろに座り偶然のように盗み見る彼女のノートから判明する。その名前が実力テストで掲示されると彼女について必須5項目はわかる。そこからいろいろ空想した。私立文系コースで3位をとったことのあるG弥生さんは立教大学文学部志望で出身校は女子S学院であった。午後の古典の授業をとっていた。
 

 彼女は小柄の小太りで茶や灰色の地味な服装をしていた。彼女の顔つきから私が受けた印象は若いときの大竹しのぶから受ける印象と似ていた。まったく主観的な話である。私は暗い頭の良い女の子に惹かれるのであった。Gさんは弥生という名前からして3月生まれで(私と同じだ!)志望は文学部の国文で将来は教師になるに違いない、もし私が教師になれば、同じ職場になり、、、などとたわけたことを考えた。もちろん現実的に話をする事などいっさいないのであった。
 
 少し早く登校して狭い屋上から下を見ると遠くからでも彼女の登校する姿はすぐわかった。学内でも彼女の姿を探している自分の視線があった。ときおり彼女が微笑んだりしているのを見かけると心がふるえた。
 
 夏休みの夏季講習が終わったある日下校する集団の中に10m程前を彼女が歩いていた。尾行しよう、と決心する。とたんに犯罪者になったような後ろめたい気持ちになった。彼女は池袋から山手線に乗った。同じ車両だと気づかれそうな気がしたので、一つ隣の車両に乗り、駅につく度に降りて彼女が下車したかどうか確認した。端から見れば挙動不審の怪しい少年である。かえって目立つことになる。私は大冒険をしているつもりでいたから大馬鹿者である。上野で彼女は降りたようだった。
 
  1996.6.18
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 あとがき:1年目の浪人時代を生徒諸君に配布してから、2年過ぎた。新しく担任を持ったので、学級通信を発行した。必要な日程の連絡や知らせなければいけないことを載せた。それだけだと、いかにもつまらない(私が)ので、どーでもいいこと、というコーナーを設けた。自分の見た映画やゲームのことを書いた。脳天気に遊んでいるだけじゃんと言われる気がした(こういうところが教員根性ですね)。さらにどーでもいいこと、という感じで通信の裏に自伝シリーズの続きを毎回書いていった。暗い話です。あの後どうなるんだ、という声を2、3名から聞いていたし、私自身ももう少し続けたかった。一番下の日付は書いた日である。(2000.9.23) 

 冒頭の28年前というのは、その時のことだから、今では51年前、つまり1968年のことになる。