私の浪人時代(9)

 受験生になって見るとトーダイは一番えらい大学であることがわかった。私が1週間もかけてそれにかかりきりになってやっとのことでなんとか答えた大学への数学の学力コンテストで毎回満点をとり連続成績優秀者となっているのはほとんどが東大志望であった。模範解答としてそういう優秀者の答案が掲載されているのをみると、ちょっとまねのできない「エレガント」な解答で中途半端に理解できている私にはかえってその差が明白だった。
 
 私は一人で受験勉強をしていたので、東大志望者はすべて自分には手のとどかないそういう別世界の人間だと思っていた。後で聞いたら有名進学校でもそういう人間は特別なんだそうである。
 
 いずれにせよ、ここでも女性に関するのと同じ気持ちの持ちようがあった。東大は私とまったく関連のない世界の話であり、遥か天上高く光輝いている。そしてそれに私はどうしようもなく惹かれていて混乱する。
 
 英進予備校の地下の自習室で前に座った女子学生が話していた。
 「3浪してる人なんているのね」
 「何考えてるんだろうね」
 軽蔑の口調である。自分のことを言われている気がした。
 「東大ねらってるんじゃないかしら」
 それなら許せる、と言いたげだった。
 そう言ったのは例によって私が秘かに気にしている屈託のない笑顔がずばぬけて愛らしいある女子学生であった。
 
 私はまだ2浪だったが、またま耳にしたこの会話は私の中に残った。東大に入りさえすれば、私のこの窮地は大逆転し苦境に耐えて栄冠を手にしたヒーローにこの私がなれるのだ。もう女の子に対して劣等感コンプレックスを感じなくていいんだ、変に臆することなくまっとうな人間になれるのだ。それが現実不可能であるだけに気持ちは激昂した。
 
 その東大の女子学生とAはつきあっている。
 「ロッカーに歯ブラシ入れてんだってさ」
 Aはこともなげに言った。
 1968年の夏であった。大学紛争の年である。歯ブラシというのはバリケードの中にいつ泊まり込むかわからないのであらかじめ用意してある、ということで、つまりAの彼女は学生運動もしているようなのだ。
 
 なぜAが自分のデートに私を誘うのかわからなかった。友人に紹介しておこうという軽い気持ちだけだったかもしれない。喫茶店「白樺」は外にテラスのある山小屋風の作りだった。私はガラスの引き戸の中でAの彼女が来るのを待ちかまえていた。Aは外のテラスに座っていた。
 
 雲が強風にあおられてあたりが急に明るくなったりかとおもうと夜のように暗くなったりした。心模様もザワザワ落ち着かなかった。大きな黒い雲が空を覆いしばらく夕闇のように暗くなった後、ぱっと雲間から陽光が強く差し込んだ。真夏の海辺のように明るくなったその時、彼女が現れた。  
 
 96.10.20 
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 あとがき:「大学への数学」は私の兄がとっていた。今や「高校への数学」「中学への数学」まで出版されている。学力コンテストの連続成績優秀者は、連続3ヶ月の合計点でランキングされていた。理系で毎回満点だった名前を憶えている。森重文 東海2(すでに2年生の時からそうだったと思う)というのである。この人が数年前朝日新聞の「ひと」欄に掲載された。数学界でのノーベル賞と言われるフィールズ賞を受賞したのである。もちろん大学教授をされている。私も連続は無理だったが満点をとって東京出版の名前入りの文房具を賞品でもらったことがある。その記事を見たときの思いは複雑だった。かっては同じ土俵で勝負したことがあった。一方は世界的な数学者、そして私はしがないコーコー教員である。ちょっと誇らしい気持ちとみじめな感じが入り交じった感慨を味わった。それも今ではどうでもいいことになっている。 ( 2000.11.4)