私の浪人時代(10)

 彼女は淡いオレンジのミニのノースリーブを着ていた。予想外だった。東大女子学生だからガリ勉で地味なスラックスに眼鏡をかけて髪は無造作に輪ゴムでたばねているような姿を何の根拠もなく考えていた。マンガで見る東大生は度の強いグルグルメガネをかけ猫背で分厚い本を抱えていた。そんなところから勝手にそう思いこんでいたのだ。
 
 オレンジ色の明るい柔らかいかたまりが動いてAの前に座った。膝をきちんとそろえて小さなバックをその肌色の膝の上に置いて背筋を伸ばして、笑っていた。髪は肩にとどく長さでときおり吹きつける風に揺れた。
 
 目が離せなかった。若い女の裸の腕を見、胸を見、脚を見た。そして顔を見た。生きて動いている女性の表情を見るのは久しぶりのような気がした。実際私は道を歩くときはいつも下を向いていたし日常生活で人の顔をきちんと見ることができなかった。視線を合わせることが苦手だったのである。雑誌の写真やポスターやテレビや映画ではこちらが一方的に女の顔を見ることができたが、自分が見られるのは嫌だった。
 
 店内は暗く外は明るいから、ガラス戸がマジックミラーになって中にいる自分は彼女からよく見えないはずである。中が見えにくいことは来たとき外から見て確かめてあった。ああいうまぶしいものがガラスを隔ててすぐ先にある。圧倒される思いだった。
 
 彼女はAに何か本の入っているような紙袋をわたし楽しそうに話していた。
そして、20分ほどで帰った。Aは店内に入ってきた。
「すごいな」
私はまぬけな感想を言った。
「かわいいだろ」
その通りだった。
 
 彼女の持ってきたのはやはり書物で大江健三郎の「個人的な体験」だった。つきあっている女の子と本の貸し借りをして話をする、そういうつきあい方も私の範囲外だった。
 
 二月ほどして、Aが「ちょっとつき合え」と電話をかけてきた。私の家に電話はない。アパート福寿荘の管理人室にかかった電話を取り次いでもらうのである。こみいった話だと、近くのタバコ屋まで出向いてこちらからかけ直すことにしていた。
 
 Aは理由を言わなかったのでともかく巣鴨の駅まで行くと
「これから作戦を敢行する」
と宣言した。その断定的な口調はそれ以上の詮索を拒んでいた。冷たい風の吹く暗い曇り空の下をAはずんずん歩いて行った。文京区の住宅街を突き進むとちょっとしゃれた家に出た。表札にはあの東大女子学生の名字があった。私はその住所をAに悟られないように暗記した。
 
 Aはあの夏の終わり「白樺」で受け取った紙包みをその家の塀の中に投げ込み、押し黙ったまま来たときと同じように巣鴨まで歩き「じゃあな」と言って帰っていった。どうも彼女との間がまずくなったらしい、と推測した。Aにとってはいいことではないだろうが、少しほっとしたのも事実である。私は駅前の本屋に入り「個人的な体験」を購入した。   
 
 96.11.5

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 あとがき:この時期、私には奇妙な感覚があった。あたりの風景がよそよそしく、望遠鏡を逆さに覗いたように遠くにみえた。そのくせ細部の輪郭はくっきり鮮やかで視界がすべてそうしたもので充満していた。遠近感が壊れていて立体感がなく、シャープに切り取られた型紙が重なっているようだった。音は聞こえていたが、意味のある言葉として入ってこなかった。耳を澄ますとシーンという音が聞こえるようだった。息を詰めて体をこわばらして待機していなければならない気がした。

 若い女の人を見えると必ずそういう感覚になった。離人感というのかもしれないが、感覚のことである。それが本に書いてあるその感覚かどうかは確かめるすべがない。最近ではそういうことは少ない。現実感も希薄になるから、とてもつらいということはない。

 さわやかな秋晴の日、青空を背景に細かな葉をたくさんつけた樹を仰ぎ見ると、その一つ一つの葉が風に揺れ何千もの小さな鈴がいっせいに無言の小さな音をたてて挨拶しているようだった。それは悪くない感じだった。(2000.11.11)