私の浪人時代(8)

つまりは私は女性コンプレックスなのである。そしてその中味は自分は劣っていて女性に相手にされるわけがないと強く確信していて自分はみすぼらしくよごれけがれて醜く相手が若い女というだけで自分より格段に優れている別世界の光輝く存在であると感じ、にもかかわらずどうしようもなく惹かれている、といったものであった。
 

 女性的なものすべてがそういう混乱を私に引き起こした。つまらない例をあげると、たとえばアパート福寿荘の玄関に赤いハイヒールが脱いである。無造作に置いてあるそれを見ただけで1時間ほど動悸がおさまらず受験勉強も何もできなかった。これは軽いフェティシズムであり「変態」なので人に知られてはならないと緊張した。
 
 それに加えてあてもなく浪人している私は東大コンプレックスでもあった。私の卒業した滝野川中学校の同期で成績1番だった男(年5回ほどある模擬試験の結果は50番まで掲示された)は都立小石川高校をへて千葉大学農学部園芸学科に行った。400人ほどいた中学3年生の中で私は50番から100番だった。1番のやつでも東大に入れなかったのだ。私にとっては高値の花というやつである。
 
 滝野川中学校から東大に入学したのは銭湯で見かけたことのあるT兄弟である。兄弟は坊主頭で強度の近眼であった。その度の強い丸いメガネと肩幅の広いがっしりした体つきにはある迫力があり、一目でただものでないと感じさせる伝説の兄弟だった。ああいう中味のずっしりつまっていて一目で違うと感じさせるやつが東大に行くのだ。私とはまったくレベルが違う、と思っていた。
 
 たまたま蛍雪時代の広告で見た通信添削Z会は東大合格者の数を誇っていた。送られてきた入会案内書の成績ランキングを見ると有名な進学校の名前がキラ星のごとくならんでいた。私が驚いたのはその志望校の欄である。北大医とか京大理とかの文字にまざって理一とだけ書いてあって大学名がないのである。ほかにも文三とか文一とか同じような表記がある。
 
  後でわかったのだが、これは東大理一のことで理一と書けばそれだけで東大を示すのであった。わざわざいわなくてもわかるだろう、というわけだ。いやらしい特権意識を感じるが東大は別格なのだ。私は王子工業高校を卒業するまでトーダイがなんであるか良く知らなかった。
 
 音として知っていたがその意味として記憶しているのはいつか父の言った「なんだ、岬のトーダイか」という冗談である。それはたとえば誰かが東大のことを口にした時まぜっかえす口調で語られていたと思う。フーテンの寅の世界である。
 
  だから自分が受験生になるまでトーダイとは「静岡か神奈川のほうの海岸の岬あたりにある燈台のようなところで自分とはあまり関係のない場所」で父の言い方から推測すると「冗談にしてわきにやってしまうのがよい」ことであった。また「トーダイもとくらし」ともいうのできっと下の方はほの暗いのだろうと思ってもいた。       
 
 96.9.29 
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 あとがき:後日談を少々。福寿荘は取り壊されて現存しない。この赤いハイヒールの所有者は東大合格NO1を誇る開成高校の教員の奥さんのものである。私が悶々と浪人生活を送っているとき、同じ屋根の下で新婚生活を送っていた。私の小学校同級のC君はこの開成高校へ入学したが、それは彼が「お金持ち」だったからで当時開成高校は「お坊ちゃん」学校だった。C君は鉄人28号の絵が異様に上手で性格のいい人だった。

滝野川中学で成績1番だったO君は千葉大を卒業した後、東大の大学院に入学したという。その後のことはわからない。現在のZ会ランキングはちゃんと東大理Ⅰと記入してある。それは北海道大学にやはり理Ⅰができたからである。その他にも総合科類を導入した大学はいくつかある。私は本当に浪人するまでトーダイをなにか正体不明の施設のように思っていたのだった。 (2000.10.28)