私の教員時代(6)

 3月は多忙を極めた。就職先が外国より遠い太平洋上の離島ということから、なんだかもう2度と会えない、という気分になっていた。以下当時の日記から転記する。読者の方にとっては他人の日常些事など退屈かも知れないが、こういう日常の中で私は最後の大学生活を送っていたのだ。高校時代、浪人時代、大学時代の登場人物が一挙に出てきた印象がある。その中で香川知子と逢瀬を重ねていたのである。

 1日は大学に行った後、羽田飛行場にAさんを見送りに行った。14、5人がロビ-に集まった。Aさんは和光大学の卒業生で単身アメリカに渡るのだった。彼女は私の数少ない友人Aの同級生。26年後の現在彼女は依然としてニューヨークにいる。昨年の冬には、あの貿易センターのテロ事件後のニューヨークの写真を送ってくれた。イギリス人の男性と住んでいるようだ。

 2日登校後家庭教師。香川知子から手紙。この日は4人に電話している。都立大学の同学年で小学校の教員に内定したSさん。友人A、現場シゴトのオヤジさん。友人Mにオヤジさんを紹介する電話。

 3日私の27歳の誕生日。手紙2通(うち1通は香川知子)投函。登校。昨日電話したSさんと5時間も都立大学深沢校舎2階にあった談話室で話す。友人N、オヤジさんに電話。

 4日新宿へ買い物。自由が丘で映画。家庭教師。
 5日秋葉原へ買い物。大学。
 6日大学で卒業研究発表会。その後香川知子と渋谷。ムルギーとDuet。
 7日小岩で塾講師。退職記念にパーカーの万年筆をもらう。新宿でM氏に会う。

 私の映画を作るというのはこの時の話である。立会川のオヤジさんの家に行く。

 8日大学。家庭教師。
 9日区役所バイクナンバー廃棄手続き・税金の申告。大学。小笠原高校の校長より手紙。最終確認。新宿。姉の友人と会う。
 10日池袋で買い物。大学。家庭教師最終日。

 1日として外出していない日はない。大学には頼まれた実験のために通った。ウニの骨をエタノールで洗って実験の材料を作る作業をしていた。香川知子と会っていながら、同窓のSさんと5時間も話し込んでいるのも尋常でない。彼女は生物学科ではなく、地理学科の学生だった。目を見つめながら話していると、恋に落ちたような陶然とした感覚があった。彼女は明るく健康的な人柄で私のサイドではない、と感じていた。しかし若い女が自分に向けて語りかけている。その状態に私は酔っていた。彼女とはその後、一度も会っていない。小笠原には暑中見舞いが来たから、私のことを憶えていたのは確かである。赴任先では必要なものは購入できない、と言われていた。新宿、秋葉原、神田と東京のあちこちへ出向き細々とした日用雑貨を購入した。この時期は明らかに躁状態と呼んでいい。

 11日神田でカバン、書籍購入。BSCS(アメリカ生物学の教科書)、生物学関連の新書13冊。科学史2冊。香川知子に手紙。船賃23000円、引越し費用30000円、当座の赴任費用としてバイトでためた18万円用意していた。大学。その後渋谷で都立大の友人とお別れ会。バイト暮らしの私はB類(夜間課程)の学生と親しかった。この時参加した愛子には私信シリーズで手紙を送った事がある。私の学生時代(21)の愛子さんである。この彼女から「結局あなたはいい人なのよね」となじられた。酔って2人して少し泣いた。
 12日渋谷でM氏と私のドキュメンタリーを撮る打ち合わせ。その後大学。一緒に小笠原高校に赴任する2人の新任教員と連絡。香川知子に電話。翌日の待ち合わせの確認。
 13日香川知子と始めて待ち合わせて会った。場所は中野。やはり友人Aに教えてもらった音楽喫茶クラシックへ行った。油絵も描いたこの店のオーナーは数年前亡くなったが、店は現在も営業している。中は暗く戦後の雑然としたがらくた物置のようなところである。情報誌には定番として掲載されているから、ご存じの方も多いと思う。会っても手をつなぐわけでもなく、言葉少なく一緒にいる、というだけのデートだった。

 この後大学に行くが、駅で別れて別々に登校した。私は実験作業があり、彼女は3年生のコンパがあった。例の学生室で一緒になったが、お互いその日始めて会ったというそっけないフリをしていた。彼女は居合わせた友人にコンパの参加者を確認していた。彼女が好きだった男がその会に出るのがわかると、参加予定を取り消し、私に目で合図すると学生室から出ていった。

 日記を詳細に読んでいて気がついた。私はこの時期、香山知子とのことでいっぱいで他のことは何もしていないと思いこんでいた。ところが事実はまったく違っていた。間断なくうろつき回りあちこち電話をかけまくり、その合間に彼女と会っていた、というのが現実だった。私が事実と考えていたことは事実のほんの一部だった。起こっていないことは書かなかったが、ある事実を抜き出して物語りを作っていた。私は大学の帰り道偶然彼女と一緒になり、別れがたく新宿で降りたと思いこんでいた。しかし実際は彼女と示し合わせて帰ったのであった。前号書いたことはこの後起こった。

 2002.8.15

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