私の教員時代(4)

 事故のように彼女にキスしてから3日後に手紙が来た。「また相談にのってください」と書いてあった。私は酔って女をくどくなんて最低だ、と思っていた。彼女がどう思ったか、すごく気になった。だから手紙が来たとき、一体何が書いてあるか、震える手で封を切った。

 また相談に乗ってください、とはどういう意味なのか、判断に迷った。もうあんなことはしないでください、以前のように相談にだけのってください、ということだろうか。それとも、今後ともつき合ってください、という意味なんだろうか。どう反応していいかわからなかった。

 ともかく電話してみることにした。すぐ本人が出た。もしもし、と私が言うと、あっ、短く言ったまましばらく黙った。それから、深く息をして、低い声で、もしもし、と返事があった。この沈黙に私の体が反応した。手が、じんじんと熱くなった。あの学生室で彼女の肩に触れたときと同じだった。手紙受け取りました。と私は短く言った。今後ともよろしくお願いします、と彼女はいやに他人行儀に言った。

 始めて2人だけで会ったのは国立だった。一橋大学や国立音大があった学生街である。駅前からの桜並木で有名だった。駅の改札口で待ち合わせた。私は30分前についた。土地勘がないので、あたりをうろつき回って確認した。それからもう一度改札に入っていかにも時間丁度に来ました、という感じで改札を出た。約束の時間の3分前だった。彼女はすでに来ていた。

 それからクラシックをかけている名曲喫茶ジュピターに行った。そこはただ一人の友人Aと行ったことのある場所だった。横並びのシートに座ると、彼女の側の体がこの前と同じように熱くなった。体は触れていない。シベリウスの交響楽がかかった。透明な冷たい風が吹き抜けるような曲だった。ほとんど話もせずにコーヒーをすすっただけのデートだった。来た道を少し離れて歩いた。そして駅のプラットフォームで別れた。帰る方向は逆だったのである。

 私の乗る電車が先に来た。ドアが閉まるとき、プラットフォームに立っている彼女は下を向いていた。電車ががたんと動き出したとき、彼女は顔を上げて私を見た。そして気弱そうに微笑んで手を胸の前で小さく振った。その姿が胸に焼きついた。

 学校では、以前とおなじように振るまった。他の下級生がいる時、彼女は軽い冗談を言ったり、同級生と教授の悪口をいったりした。私をそういう彼女を、若い人はいいねえ、という感じで見ているようにした。ともかく露見してはならない、と私は思っていた。彼女も知らん顔をしていた。そういう彼女が2人で会うときには、言葉少なく黙っていた。時々、あの気弱な微笑みを投げかけた。

 2人で会うといっても、本屋で偶然のように出会ったふりをして駅までの道を一緒に帰る、という程度のことである。それでも私は彼女に会えるだけでうれしかった。この前の「事故」のことを彼女がそれほど気にしていないとは思ったが、実のところどう考えているのかわからなかった。
 
 2002.6.18

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