私の教員時代(2)

 香川知子と知り会うようになったのは、彼女が自分の人間関係について、愚痴とも相談とも言える話題を私に持ちかけて来たからである。

 私は2年落第しているから、自分と同期の顔見知りは退学あるいは卒業して大学を去った。大学院に進学した者もいるが、皆タコ壺のような研究室に閉じこもっていたから、めったに顔を合わせなかった。研究棟の廊下ですれちがう程度である。6年目はアリバイ工作のような卒業研究と就職のために通学した。教職課程を取るために一般教養をやっている目黒校舎によく行った。実験室の隣に四角い棚があるだけの学生室があり、生物科の学生はそこに荷物を置いたり、空き時間をつぶしていた。その目黒校舎328号室で彼女の話を聞いた。

 彼女には好意を寄せている同級生がいて、そのことをどう思うか、といった内容だった。彼女が好きな男子学生には他につき合っている人がいるようなのだ。彼女にしてみれば、私は3浪2年落第の先輩である。人生の辛苦をなめつくているはずだから、そういう相談を持ちかけるのに適していた、というわけだ。

 もっとも伏線がなかったわけではない。前年の春休みに八王子セミナーハウスで行われた学科合宿の飲み会で、遅くまで話し込んだことがあった。初めは10人ほどいたメンバーがさみだれ式に抜けていき、最後に4,5人が残って明け方4時頃解散した。女子学生で最後までいたのは彼女だけだった。

 若い男女が集まれば行き着く話題は決まっている。その時は「衝撃の告白」と称して自分の恋愛経験を話す流れになった。最年長の私は自分にそれほど経験がないのに、それらしい話をでっち上げて、肝心のところは、それとなくぼかして、次に回した。そして下級生の話には、いかにも訳知り顔でうなずいたり、その時の相手の話の流れに合わせて、「相手は来なかったろう」といったことを短くコメントした。それがたまたま核心に触れると、やはり苦労した人は違う、と勝手に相手が思いこんでくれた。

 そんなことがあって、下級生の諸君とは一緒になることが多かった。麻雀をやろうと言われれば、卓を囲んだ。香川知子はそういうときにも参加した。小柄童顔でかわいい感じの彼女が徹マンにつき合うのは意外だった。生物学科は理科系では女子学生が多い。大学時代で触れたように、私立名門お嬢様出身が多い中で、確かに彼女は異色だった。

 私はもしかすると彼女はこちら側の人間なのかも知れない、と思った。こちら側とは、屈折した自意識を抱えていて素直に物事をとらえることが出来ないくせに、人からの好意を限りなく欲しがり、そう言う自分がたまらなく嫌な面倒な人間というほどの意味である。

 彼女は都立名門からの現役入学だった。学校群制度が施行されて都立高校のレベルが落ちてきたとはいえ、いくつかの有名校はまだまだ受験界で勢力を保っていた時代である。工業高校卒の3浪である私とは世界が違う。女性コンプレックスは当然のように発動する。ところが相手はその私を人生経験豊かな頼りになる先輩と思っている。その役割を受け入れれば、私の自尊心は満足する。自尊心は満たされるが私の「恋心」は行き場を失う。相変わらず、私は性懲りもなく若い女なら誰にでも委細かまわず恋心を抱いていた。

 だから、彼女に近づくことは緊張の高まる事態だった。

 2002.5.19

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 あとがき:教員時代を始めようと思っていたが、どうも大学時代の終わりに話が移っていった。これも「流れ」なので致し方がない。なかば義務のように始めたが、義務を果たすだけでは面白くない。運ばれるままに進んでいってやろうと思う。