私のバイト時代 (19)

 私は相手が若い女ということだけでも強く惹かれていたが、その上私の事を悪く思っていないらしい、ということで逆上した。そしてこんな状態ではとてもつき合う事などできない、と考えて断りの手紙を書いた。
 
 自分はまだ学生で定収入もなくとても結婚できる身分でないこと、自分のことすらちゃんとしていないので、おつきあいはできない、といった内容の短いものだった。
 
 しばらくしてオヤジさんが、先方が大変つらがっている、そんなに堅苦しく考えないで、ちょっとつき合って見ろよ、というようなことを言った。私が黙っていると、こいつはしょうがないな、と自分に言い聞かせるようにうなずいた。それ以降、オヤジさんはこの件に関してはいっさい話をしなかった。
 
 そんなこともあって、私は現場の仕事をやめた。仕方なく大学に戻ってともかく卒業することにした。バイトは続けないとやっていけないので塾の教師を中心に家庭教師など、教職関係の仕事をした。これは現在の仕事に直接つながるので、「私の教員時代」を書くようになったらそこで触れてみたい。
 
 中2の春から始まった私のバイト歴をまとめておく。

 1.ラーメン屋の店員(中2から、1年半ほど)

 2.石鹸工場の配送助手(高1、半日)

 3.鉄道弘済会売店(高1、1日)

 4.ビル掃除(高1から浪人時代、4年ほど)

 5.測量会社の助手(大1、3ヶ月ほど)

 6.引っ越しの助手(大1、2週間ほど)

 7.都衛生局のゴミ収集(大1、2週間)

 8.競輪場のガードマン(大1、2泊2日)

 9.ゴキブリ駆除会社の助手(大1、2ヶ月ほど)

 10.工事現場のコーキング工事(大2から、3年ほど)

 11.塾教師・家庭教師関係(浪人時代から)
 ・中2女子4ヶ月
 ・高3男子10ヶ月
 ・小4女子7ヶ月
 ・高3男子1年
 ・高3女子5回
 ・中3女子6ヶ月
 ・高校中退男子2年
 ・春期講師・土日教室1年間(小学生)
 ・夏期講習講師2年間(中学3年生)
 ・英協(旺文社)添削:数学2年間(高校3年)
 ・Z会添削:数学2年間(基礎科)

 これもいろいろ書いてみたい気がするが次の機会にしておこう。
 
 アルバイトというからには本業があるわけで、それは当然学生・生徒ということになる。学校に行ってバイトをすると他のことは何もできない。いつもふたまたかけて生活していたので、そういう時間の使い方が当たり前になってしまった。
 
 もっとも大学を終えるときに大学院に進学して学者になってやろう、と思った事もあった。バイトしながらの院生生活を考えると、とても研究だけしている人にはかなわない、と断念した。大学院などは自分の身分を考えるとそぐわない気もした。
 
 仕事だけしていればいいようになったのは、42歳を過ぎて現在の勤務校に異動してからである。バイトは確かに現金収入のために始めたものであるが、仕事先で自分が必要とされていることがわかるので、それが生活の支えになった。気持ちの安定のためにはこれが大きかった。
 
 ともかく自分が仕事をしないと先に進まないのである。自分が無用の人間でない、と実感できたのはバイトのおかげであった。学生・生徒では自分が休んでも何の支障もないので、こういう実感は持つことができない。その意味でバイトに費やした時間は無駄ではない。
 
 1年間このシリーズを続けてきたが、キリがよいので私のバイト時代はここで取りあえずやめることにする。昨年度末同様、読者のみなさんには感謝する次第である。
 

 99.3.18

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 あとがき:資産も何もない私は、毎日仕事をして収入を得ないと食べていけない。幸運にも教員(公務員)になれたので、この不況の世の中でもなんとか食べていける。バブルで浮かれていた人はこの秋風にキリギリス状態である。いい気味だなどとは決して思わないが、危機感がなかったんじゃないだろうか、とは思う。350円のコンビニ弁当より280円の吉野屋の牛丼を選ぶような生活を毎日している。あと一仕事してこの浮き世から、人に迷惑かけないでおさらばしなくちゃ、と思うことが最近多い。次号からは1970年代の大学生活をお送りします。(2001.9.29)