私のバイト時代 (14)

 戦後は進駐軍のベースキャンプでペンキを塗ることから始めたらしい。「アメちゃんは白いペンキが好きで必ず年に一回は塗り替える」とか「クロちゃんはすごい。ションベンなんか台所の流しで平気でする」とか当時の経験談を語っていた。クロちゃんとは黒人兵のことらしい。
 
 学校は尋常小学校4年までしか行っていない。ある時、仕事の材料の話で意味が分からなかったのでオヤジさんに「どういう字を書くんですか?」と聞いたら、少し口ごもって「字なんかどうでもいい」と言った。オヤジさんは字を知らないことを恥じていたのである。
 
 それでも月末に貰う給料には必ずオヤジさんが手書きで明細をつけていた。15日働けば、十五人苦と書いてあった。15日分ではないのである。人苦、とはすごい単位だと思った。15人分苦しんだということだから仕事がつらいのは当然である。
 
 始めての現場に話を戻すと、渡された作業服はごく普通のものだったが地下足袋を履くように言われた。足の親指と他の4本の指が離れているから、靴下は脱がなくてはならない。始めはそうしていたが、冬は寒いので、靴下をはいたまま親指と人差し指の間を無理矢理離して、その上に地下足袋を履いた。少し違和感があるが慣れれば気にならなくなる。高い足場に乗るので、この方が足の感覚がなくならないのでいい、ということだった。
 
 そして、始めから地上20mはあると思われる高所に登った。競馬場の観客席の屋根はオーバーハングになっており、そのドーム状の屋根の下の部分をやるのである。足場は鉄製の平たい板になっていて、乗ってしまえば足下が揺れることはなかった。ただ、下を見ると何もない空間が広がっていて、遥か下に地面が見えた。
 
 20mまでの高さが一番恐怖を感じるという。それ以上高いと現実感がなくなるのだ。足が小刻みに震えていた。そこで上を向いて作業をした。天井の壁を見ているときは目には高さは感じなかったが、それでも体は高いところにいることを覚えていて、震えは止まらない。手先に神経を集中してともかく作業することにした。
 
 ここでコーキングの作業の段取りを述べておく。接合部分の接着と防水が目的である。始めに接合部分のほこりを払い、その上にバックアップ材という固いスポンジ状の細長い四角い棒を貼る。接着部分はあらかじめ接着剤が塗ってあり、紙テ-プをはがすと貼れるようになっている。そしてコーキング材を充填する箇所の回りに養生テープを貼る。
 
 ここまでが始めの作業である。このときいい加減にやると後の作業がうまくいかない。掃除と同じで始めが肝心なのだった。こうして1日分の箇所の下拵えをしておいて、次がコーキング剤の充填である。
 
 コーキングの材料は2種の粘性の素材を充填前に攪拌融合してガンの中に詰めて使う。材料は丸い缶に入っていて、それを現場に落ちているベニア板を使いやすいように切り、その上で混ぜるのである。2時間ほどすると化学反応が起こり固くなって充填できなくなるので、打ち込める量だけ混ぜる。
 
 そして接合部分に材料を注入しヘラできれいに押さえてゆく。ある程度固まったところで養生テープをはがして終了である。1日の仕事じまいの時は、使用したガン、へらをトルエンで掃除する。
 
 そうしないと翌日材料が固まって使えなくなるのだ。30分ほどかかるがその間にトルエンを吸ってしまうので、毎日シンナー遊びをしているようなものである。私はこの行程の始めの作業からやることになった。そして3月もすると全部の作業が一通り出来るようになったので、それから後は全行程を一人で任されるようになった。
  99.2.10

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 あとがき:私は今でもこの技術は憶えていて、自宅の風呂や屋根の防水補修は自分でやった。工具は近所の量販店ですべてそろえる事が出来る。当時はこんなものだと思っていたが、考えてみるとなかなかすごい。予備知識も研修もなにもない。いきなり現場に行って出来ることをするのである。オヤジさんのやるのを見ていて仕事を覚えていく。後は自分の工夫にかかっている。

 今なら、専門学校とか技術専門校(かっての職業訓練校)などの該当する科に入学して基本的なことを修得するところだ。学校で教えてもらうと、答えが始めから与えられるので、ある程度の技術を修得することは出来る。だが教えてもらっていないところになると、そこでいきづまってしまうのではないだろうか。必要なのは、結果がちゃんとイメージできることと、やればなんとかなる、という自信である。

 その意味で現場仕事に関しては、教育機関のできることは少ない。ある学校を修了したということが、採用試験のときに役にたつぐらいであろう。実際はやってみないとわからないものだ。音響関係の仕事についたある卒業生もまったく同じ事を言っていたので、一般性はあると思う。(2001.8.25)