私のバイト時代 (10)

 都の清掃局のバイトは年末年始の臨時要員だったので、2週間ほどで終わった。大学の掲示板で探した次のバイトは引っ越しの補助だった。これは運転手と助手2名の3人がチームを組んでやった。
 
 まず運送会社に行き、その日の現場まで車で行く。現場に着くと、準備してある荷物を車に積み込んで、引っ越し先まで運ぶ。荷物を搬入すれば、その仕事は終わる。短距離の時は1日に現場を2つほど回った。長距離の時は一つで終わる。
 
 引っ越す立場からすれば、長距離の方が大変だが、仕事としては短距離よりも楽である。移動している間は勤務時間だが、助手席でラジオなど聞いていればいい。休んでいるのと同じである。引っ越しは搬出と搬入が大変なのだ。
 
 搬出時の荷物積み込みの要点は狭い荷台にいかにすきまなく荷物を充填して、しかも移動中に動かないようすることである。これには熟練がいる。始めは経験者の運転手の言うとおりにしていた。そのうち勝手が分かってると、パッキングを考える。運び出す荷物を選んで荷台に積み込むようになる。結局は段取りの問題なのだった。
 
 掃除の仕事と同じでこの段取りさえ間違えなければ、最短時間でもっとも効果的な搬出ができることになる。頭を使うのはこのときだけである。運搬そのものは肉体労働で効果的に運ぶコツは体で覚えなければならない。
 
 荷物の内で重いのは本である。段ボールに入っていてもこれがやたらと重い。次が布団。これは大きいので重量がかさむ。後は電化製品で、テレビなどは以外と軽い。冷蔵庫や洗濯機は結構大変である。団地などは狭い階段を運ばなくてはならない。2人で運ぶには場所がとれない。大抵は一人で運ぶのである。洗濯機などは背中に背負うようにして階段を上る。
 
 慣れるまではバランスを取るのに苦労した。コツを覚えると、それほどのことはない。布団なども布団袋に入れて背中にかついで運ぶ。体積は小さいが前に抱えて運ぶことになる書籍などの方が疲労が大きかった。
 
 それでも、つらいのは勤務時間の正味2割ほどである。移動中は車の中の休憩時間。拘束時間の割には楽な仕事だった。普段は見ることのできない他人の家の中が全て分かる。私の好奇心は満足した。
 
 引っ越しは、する側にとっては滅多にあることではない。運び終えたときには大抵ご祝儀をくれた。食事時間だと店屋物などを取ってくれる。肉体労働をしているという印象があるのか、天丼やカツ丼が多かった。ほとんど上であった。葬式、結婚式、などたまにしかないことに関わると、金銭感覚が日常と違っているので、思わぬ収入になることを学んだ。
 
 この仕事は面白かったが、毎日あるわけじゃない。恒常的にある程度の収入を得ようとすると少し都合が悪かった。時期も1月だったから、引っ越しのシーズンではなかった。朝、事務所に電話してその日の仕事を聞いて、なければ休みということになっていた。給料も夕方仕事が終わったときにその日の分をくれる日銭方式だった。先の予定も立てずらかった。
 
 そこで、もう一つ臨時のバイトをやった。これも大学の掲示板で見つけた。競輪場のガードマンである。2泊3日の泊まりがけで伊東の競輪場が仕事先だった。競輪の開催期間中だけの仕事で、そのたびに求人票が掲示された。
 
 電話すると、学生証を持ってくれば、その場で採用するということだった。引っ越しの仕事の時は写真を貼った履歴書が必要だった。荷物が紛失すると信用問題である。面接もちゃんとやった。こちらは身分がわかればいいという採用条件でなんだかいい加減な気がした。
 
 競輪場のガードマンの採用はまったくその場限りのものだった。そしてそれは採用だけでなく、仕事が日雇いそのものだった。  
 
 98.11.26

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 あとがき:バイトをしていると将来思わぬところで役に立つことがある。引っ越しのバイトも偶然することになったもので、この仕事をしたかったわけではない。現在の家に引っ越す時、業者に頼まなかった。妻の兄と私と妻との3人でやった。一番の大物は結婚した時に購入した洋ダンスだった。物がしっかりしているので重くて大きい。まず団地から搬出するのが一仕事だった。2階の寝室から出すには窓の手すりを外さないと外へ出せない。手すりを外すためには大型のレンチが必要である。その工具は14年前この団地に移ってきた来た時に買ったものである。それを探しだし、搬出の下準備から始めた。窓枠には古毛布を敷きタンスの縁は厚い段ボールで保護する。業界用語では「養生する」。太手のロープで吊り降ろすのである。大物を上下するには下から持ち上げるより、上から吊る方が作業が確実で楽だ。搬入はこの逆をすればよい。

 そういうやり方はすべてこのバイトから学んだ。私は必要に迫られていたので、仕事を選ぶ余裕がなかった。それが将来役に立つとは思っていなかった。若い時の苦労は買ってでもしろ、などというと説教じみて嫌だが、必要に迫られてすることが自分の可能性を広げるとは思う。(2001.7.28)