私のバイト時代 (6) 

 掃除のバイトでは世の中を裏から見ることができた。
 
 月-金の掃き掃除では、退社後の人のいない事務所の中を掃いて回る。机の上を見ただけで、そこを使っている人の様子が分かる。几帳面に片づいた机、書類やその他のものが雑多に積み上げられた机、乱雑な机でも、全く乱れきったゴミの山のようなものもあれば、一見すると散らかっているが、そこにある種の統一した秩序の感じられるものもあった。
 
 机一つを取ってみても使っている人の人柄が推測できた。誰もいないと思った事務所の中で一人ポツンと残って残業している社員に出くわすこともあった。そんな時、通りすがりに「ご苦労様」と小声で声をかけてくれる人もいればまったく無視する人もいて、同じ職場にいても人は様々だと思った。 
 
 女子トイレのゴミを集めて回る作業では、階によって洗面台の汚れが全く違っていた。ある階では細い女の髪の毛が洗面台の陶器に濡れてびっしり張り付いていた。そういうところに限って丸いくずかごはちぎれたトイレットペーパーの山で溢れている。私が女性コンプレックスだったのは「浪人時代」で述べたとおりであるが、若さあふれるまぶしい女子社員の裏にこういう汚いものもあるんだと突きつけられた感じがした。
 
 浪人時代には、新宿のKデパートの掃除を担当したが、職員の休憩所の灰皿には、吸い口のフィルターに赤い口紅のべっとりついた吸い殻が沢山入っていたりした。清楚な制服でにこやかに接客しているお姉さんが裏へ回るこうなのだ。
 
 人間には裏がある。それを毎日具体的に確認する作業だった。昼間は社長から用務員まで身分と地位の決まっている会社も夜にゴミを集めて回れば、私の前に繰り広げられるのは昼間の秩序と違った、人間一人一人の人格といったものが露わになる人間展示場なのだった。
 
 社長室に入るのは楽しかった。床は絨毯である。応接セットには舶来の煙草がケースに納められていて、卓上ライターも極上のブランドものである。椅子のクッションは柔らかく座ると体の重さで半分ほど埋まった。掃き掃除は一人でやった。社長室に入ると、あたりに人がいないのを確認してそのクッションに座り、くわえ煙草で「キミイ、そういうことじゃ困るんだよ」と一人芝居をうってみたりした。
 
 製品開発室で板に着色したチョコレートの見本が捨ててあればこっそりポケットにしまって持って帰り自分の宝ものにした。さすがに本物そっくりに作ってあって、捨てるの忍びなかった。店頭に並ぶチョコレート一つ一つに、それが製品化されるまでには、かなりの時間と労力がそそがれているのがわかった。
 
 あるいは古くなって表面に細かい白い粉がふいたようになっているチョコレートを発見したこともあった。ためしに口に入れてみると、水分が少なくてかたい木を囓っているような感じだった。そのくせ味はしっかりチョコレートをしているのだった。始めの頃はそういう発見が面白く仕事時間は退屈しなかったが、一と月も過ぎるとその興奮も納まって、後はきまりきった事を単調にこなしていく作業になった。
 
 それでも最後まで楽しかったのはゴミの集積所である地下室に降りていく時である。紙屑は麻の大きな袋に入れて積み上げた。その麻の袋の上にジャンプしてはね回るのは痛快だった。一緒に働いている友人とプロレスごっこをして互いに投げ合ったりした。段ボールの箱が出ると、沢山重ねて「ロープ最上段からのニードロップ!」などと叫び、膝蹴りでつぶしたり思いっきり蹴飛ばしてバラバラにするまで暴れまくった。
 
 当時から段ボールは別に集めて回収していたので、バラバラにしてもまとめてひもを掛けておけば叱られることはなかった。かえって細かくなっていると処理が楽だ、と喜ばれた。
 
 1998.9.6

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 あとがき:このビルのエレベーターは旧式の内部が見通せるものであった。銀座三越にあったようなタイプである。人の乗るボックスの上下が外からわかる。人のいない夜になってガラス扉の向こうに音もなく上下する影をみた。このエレベーターの脇に郵便物の投函管が上から下まで走っていた。エレベーターに乗る前、ここに手紙を入れると一番下の集積所に郵便物が溜まる仕組みになっていた。これも不思議な装置だった。一人で廊下を掃いている時、視界の端に白いモノが上から下にスッと流れるように落ちていく。そちらを見た時にはもう何もない。少しひんやりした気分になる。(2001.6.30)