私の浪人時代Ⅱ(6)

 いつものように「ただいま」といって帰宅すると、妻はやはり黙っていた。どうしたものか、と思ってこちらも黙る。すると「バイトすることにした」と妻は宣言した。清瀬駅南口商店街のはじにある本屋のアルバイトを見つけてきた、と言うのであった。
 
 妻は妻で事態の打開策を考えていたようだった。私にとっては願ったりかなったりで文句はなにもない。この後妊娠するまで1年間ほど妻はこのバイトを続けた。それに加えてあいた時間で医療事務の専門学校に通ってその資格を取った。これは結局就職先がなかったので使わなかった。さらに高校時代からの夢である少女漫画家になるべく準備を始めた。
 
 妻も忙しくなったので、この件はそれでなんとなくおしまいになった。結婚後18年になるが、それ以降もめたのは1度だけで傍目には仲の良い夫婦だといえるかもしれない。もっとも妻に言わせると「母子家庭」だから、ということになる。
 
 この浪人時代が終わっても次には大学時代Ⅱが控えていて、とても家族で過ごす余裕はなかったのである。私自身も親にかまわれて育ったわけでないから、私の頭の中に家族で和気藹々とすごす、ということがどういうことなのかわからないのであった。
 
 受験に話を戻す。大学受験は知力の勝負であると思われているようだ。それは多分間違っている。受験の成否を決めるのは体力と精神力なのである。脳は人体で、もっとも良質の糖分と多量の酸素を必要とする器官である。それを供給する体力的な余力がないと集中して問題を解くことは出来ない。
 
 東大の数学は今も昔も150分、2時間半である。この間集中力を持続するにはなにより基本的な体力がいる。30代のときは平気だったが、50代も近くなった今ではこの集中力が持続するかどうかはあやしいものである。
 
 嫌なことでもやることを決めてそれを淡々とこなしていくには、精神的な安定が必要である。これは規則正しい日常生活から生まれてくる。ごく少数の天才は別としてそうした生活の背景があって、受験での高得点が可能になってくるのである。
 
 知力重視の受験戦争に関してはいろいろと批判されているが、この制度がいっこうに改まらないのは、平均してみると、受験であるレベルを獲得する者は、知力というよりもそうした生活環境の中で育ったことが保証されているからである。
 
 私は結婚して、定時制高校とはいえ地方公務員の教員であった。身分は保障されている。このことが私に精神的な安定感を与えていた。受験はいわば個人的な趣味であった。時間的な余裕はなく、生活的にも追い立てられていたが、それでも10年前の浪人時代よりはよほどましであった。
 
 それに加えてなによりも方針がはっきりしていた。迷うことはないのである。すでに記憶力は衰え始める年代だが、受験勉強ははかどった。
 
 97.12.24

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 あとがき:この文を書いてから3年と少したっている。その間にもう1度もめた。結局今まで3回(だけ?)もめたことになる。これから先のことはわからない。20年を越す結婚生活で3回というのは、多いのか少ないのかわからない。ただ川柳や外国のジョークで言われるように自分の結婚に対して皮肉な見方をしていないことは事実である。私は結婚していなかったら、もっとつまらない人生を送っていたと思う。もめごとが全くないというのも実は寂しいものだ。面倒なことが多いほど充実した人生ではないだろうか。 (2001.3.10)