私の浪人時代Ⅱ(4)

 なぜ私が13浪を意識したかというと、予備校が始まって一月ほどした頃、3浪以上の受験生が呼び出されたことがある。昼休みに校内放送があり40人ほどの生徒が教室に集められた。現在の体調などを記入する簡単なアンケートが配布された。相談ごとがあれば事務室に申し出るように、という指示と担当の職員の名前を知らされた。おそらくは精神的な不調からくる事故を予防しようとしたものと思われる。今は専任カウンセラーがいる、と聞く。
 
 その時、隣にいた男が私に話しかけた。
「おたく、3浪?」
 彼も人を見る目がなかったが私も社会人には見えなかったというわけだ。私が黙っていると彼は少し得意そうな口調で「おれ、4浪」と続けた。
 
 彼の立場を考えれば、予備校生としては少数派である。そして私も定時制高校の教員で受験生であるからどこか他とは違う匂いを出していたのかも知れない。
「あ、おれ、13浪なんだ」
 今度は彼が黙った。なんだか事態が飲み込めない、といった感じで「えっ」と短く言ったまま考え込んでいるようだった。
「ちょっと、時間ある?」と私はコーヒーカップを飲む手つきで彼を喫茶店に誘った。
 
 彼は少女マンガに出てくるような美形で今で言えばキムタクである。実名も同じあった。都立T高校の卒業で医学部をめざしていた。私も東大理3志望であるから年こそ違うが同じ医学部受験生である。
 
 私の話を聞くと彼はそれ以降、私を先生と呼んだ。さすが4浪だけあって彼は理1のAクラスで生徒証の番号も105番だった。英語と化学が抜群の成績で成績優秀者欄に名前を見ることもあった。帰りに一緒になると本屋に行ったり喫茶店で話をしたり、2度ほど新婚のアパートにも遊びに来た。
 
 妻の観察によれば彼は「イカレ」なのだった。もちろん誉め言葉である。性格が極端でその美貌にもかかわらず女嫌いだった。好きな音楽はロック系でキングクリムゾンを筆頭としてアバンギャルドプログレッシブに関心があり、私もその方面は嫌いではないので話は合った。入学後に浅草に来たクリムゾンのライブには2人して行った。
 
 彼は千葉大の医学部に合格した。入ったサークルは座禅会で「先生、人生はクソですよ」などと言っていた。鼻筋の通った甘いマスクと、する話の内容がかけ離れていて確かに「イカレ」である。女にもてない若い男がその反動で哲学に入れ込む、というのはわかる気がする(私がそうである)が、そうでない実例を目のあたりにすると、人間というのはなかなか奥深いものだと実感した。
 
 卒業後は整形外科医になった。彼が医学部を卒業するころまではつきあいがあったが、自然と疎遠になり年賀状も交わさなくなって、今の様子はわからない。
 
 97.11.17

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 あとがき:このKさんと知り合ったのが20年前。今では有能なお医者さんになっていると思う。彼の実家は医者ではないから、勤務医として病院の要職にあるか、あるいは医者の娘を娶って自営しているかもしれない。そうしてもう会うことはあるまいと思われる。中学校の卒業式にお互いにお別れの言葉を書くのがはやった。みんなメモ帳をもって右往左往していた。普段親しいのならわかるが、そうでもないのに卒業式だからといって、そういうことをするのが若い私には許せなかった。どうせすぐ忘れてしまうのである。それなら、何もしないほうがましだ、とかたくなに思って何も書かなかった。 私の手元に何の書き置きも残っていないが、その時そう思ったという事は、まだ忘れていない。相手はどう思っているが知らないが、私はこのKさんのことは忘れない。(2001.2.24)