私の浪人時代 Ⅱ(2)

 予備校は午前部だったので8時半頃から1時間目が始まった。50分1コマで午前中に4コマある。午後は選択で理科社会の科目になっていた。この1年間力を注いだ科目はまず英語である。英文読解、英作文、文法、総合問題、と受験に必要な項目別に授業があった。
 
 夜の勤務とはいえ正規の公務員であるからそんなに受験に時間をさくわけにはいかなかった。最小限の時間で最大の効果を上げなくてはならない。ただ通学して講義を漫然と聞いているだけでは成果はあがらない。
 
 予習をしていくのが原則だが、当然すべての科目は予習できないから英文解釈と英作文だけは予習した。次の授業の範囲を訳して和文を作っておく。単に英文を読んでおおよその意味をつかむだけでは受験には役にたたない。それをノートに文字として書いておく必要がある。
 
 授業時間中に先生の話を聞いてそれを添削する。行き帰りの電車の中でそのノートを読み返して復習する。英作文も英文を作っておいて、自信のある時はそれを休み時間に黒板に書いておく。先生はそれを皆の前で採点した。自分が書いたときは結構ドキドキした。教室には知っている人間はいなかったが、そうして書いた時は印象が強く模擬試験でも覚えていた。後は講義を聞くだけで精一杯だった。
 
 次に力を入れたのは数学でこれは問題演習が中心だから、電車の中で問題を読み暗記した。あとは頭の中で解答方針を考え、できるだけ暗算をして答えを出すようにした。歩いているときや風呂に入っている時や、もちろんトイレでも考えた。そして授業を聞き、復習の時に鉛筆を持って実際に紙に書いてみた。
 
 国語は現代文と古文の講義を聞くだけでなにもしなかった。理科は物理の講師が有名人でおもしろかったので、これは授業を集中して聞いた。生物は受験よりも教え方を盗むつもりで受講したがあまり参考にならなかった。私の予備校のクラスは日本中から偏差値の高い生徒を集めたクラスで、私が教えていたのはその逆だったから、内容的に参考にならないのは仕方がない。教え方といった点ではいくつか学ぶべきところはあった。社会は教科書と共通1次用の薄い問題集をやっただけだった。
 
 1日の起きている時間のうち3割受験、5割仕事、残り2割がその他の生活時間だから当然新婚生活は犠牲になった。結婚して1年間はどこにも行かなかった。夏休みは当然夏期講習である。日曜日は模擬試験とクラブの引率でつぶれた。
 
 今にして思えば、妻には彼女なりの結婚生活のプランがあったのかもしれない。私はそのことをまったく考えていなかった。もともと楽しみを知らない性格である。仕事が義務なら受験は果たすべき課題で、結婚生活もこなすべき日常であった。
 
 97.10.8.

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 あとがき:この物理の有名人講師とは山本義隆氏である。我々の世代なら、東大全共闘議長として有名である。東大の物理の大学院博士課程に在籍して闘争に参加した。運動が収束して予備校講師になったという。ノーベル賞級の物理学者だという報道があった。そういう頭脳が予備校の講師をしている。
 庶民の私には良く理解できないことだった。その全共闘時代から10年ほどたっている。ジーンズに長髪、少し痩せた感じの長身で関西弁を交えた講義だった。運動量保存の法則とエネルギ-保存の法則からE=mc2乗の公式をあざやかに導き引きだしたのには、唖然とした。そういう講義は聞いたことがなかった。やはりキレ者という印象だった。 (2001.2.10)