私の浪人時代(17)

 遊び人風のK(国士舘)、謹厳実直なW(早稲田)、純朴なD(國學院)、暗い3浪の私、この4人が夏休み前に新宿の深夜喫茶に集まって、トランプなどをして過ごしたことがあった。大学生たちは3ヶ月もすると、自分のスタンスを決めて学生生活を送るようになったらしかった。
 
 夏休み前に、それぞれがバイトをやめる予定らしいとわかると、國學院がそれじゃ徹夜でトランプをしようと言い出した。私は出たくなかったが、それを言い出す気力もなく同意した。国士舘と早稲田は麻雀ができたが、國學院はできなかった。それでトランプ、となったのである。
 
 新宿西口にある確かパリシェという喫茶店で初夏の夜を過ごした。大したことがあったわけじゃない。ツ-テンジャックやダウト、ナポレオン、セブンブリッジはてはババ抜きまで、4人の知っているカード遊びをした。あきるとぼーと時間を過ごした。
 
 深夜喫茶では寝てはいけないことになっていた。およそ1時間おきにボーイが水を入れに来て、寝ている客を起こしたりしていた。朝5時頃になって、外へ出て西口の中央公園へ行った。良く晴れた気持ちのいい朝だった。特に話しもなく公園をうろつき回った後、駅のところで別れた。
 
 3人がやめた後も私は掃除のバイトを続けた。仕事の行き帰りも一人で誰とも話さずすごした。ある面で気楽だったが寂寥感は深まった。
 
 夏になってビアホールが営業されると清掃の時間でも屋上のビアガーデンには客が入った。仕事帰りのサラリーマンが彼女を連れて和気藹々と楽しそうに談笑しながら私の前を通り過ぎた。私は黙ってモップを動かしながら自分の身体が汗くさくひどく汚れているように感じていた。通り過ぎる若い女たちは限りなく美しく私の目に映った。それはまるで別世界の住民のようだった。
 
 人と話をしない分、頭の中ではいつも会話をしていた。自分の意志とは無関係に言葉が文章となって流れた。このころ私をとらえたある想念を今でも良く覚えている。それは入試に関するものだった。
 
 東大の入学試験で完璧な解答を仕上げた後、それを試験場で読み上げる、というものであった。その暴挙を報道する新聞記事が思い浮かんだ。「東大入試で異変。受験生が試験中に正解を読み上げる。×月×日の東大入試、理系の受験場である本郷校舎で、3時間目の数学が終わる前に3浪の受験生が正解を読み上げるという事件が起こった。東大関係者によるとこの受験生の読み上げた解答は完璧なもので、その試験会場の答案をどう処理するか検討中という。その会場の答案に正解のあった場合、その3浪の受験生の解答を聞いて答えた可能性もある。だからといってもう1度入試をやり直すわけにもいかない。その会場の答案だけ別扱いにすることも不可能で、当局はこの3浪の受験生を威力業務妨害で告訴することも検討している」
 
 決まりきったルーチンワークをこなしながら、私はこのイメージに捉えられ暗く興奮していた。世間がどんな騒ぎ方をするかが気になった。実力のあるのになんでそう言うことをするのか、理解できないに違いない。そういう形で私は自分を世間に認めさせたかったのだ。  
 
 97.3.15.

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  あとがき:この逆カンニング(人に無理矢理正解を教える)を実行した例は知らない。人間の考えることは同じようなものだから、似たことを考えている人はいるはずである。高校時代の倫社の教師は私にこういった。「人ひとりいるは良からず」聖書にそう書いてある、というのである。この先生は共産党員だった。聖書を持ち出したのに教養の広さを感じた。同時に私のこともちゃんと見ているな、と思った。結局私は、このアイディアを実行しなかった。全問正解の自信がなかったからである。そして今はこの当時ほど一人でもない。愉快犯というジャンルがあるが、これは愉快な犯罪ではなく当人が愉快なだけで、他人は迷惑する「犯罪」である。愉快な犯罪(類似行為)なら、まだまだやりたいとは思う。(2000.12.30)