私の浪人時代(14)

 合格発表はいつも一人で見に行った。都立大学の発表を見に行くのは2回目になっていた。それまではあまり可能性がないので午後遅くになってでかけていた。今回は午前中に福寿荘を出た。東急東横線都立大学駅を出ると緩やかな坂になる。確か柿の木坂という。石坂洋次郎が住んでいたという住宅街である。私は勝手に「陽のあたる坂道」と呼んでいた。
 
 その坂を上っていくと、発表を見終えた受験生が続々と降りてきた。合格した者は手続きの書類を抱え足どりも軽くやってくる。落ちた者は少し下を向いて歩いてきた。一目で結果がわかる。大学のある坂の上から未来の開けたものと審判の下ったものが列になって降りてくる。私はどっちに入ることになるのだろうか、そんなことを考えながら10分ほどの坂道を上った。
 
 通用門を入り人混みをかき分けて合格掲示板を見た。自分の受験番号は抜けていた。ポケットから受験票を取り出しもう1度確認した。ない。だめだった。掲示板の前の人混みを離れてもう一度見た。遠くから見たらあるかもしれない、何かの魔法のように私の番号が現れるかもしれない、そんなことを思いながら振り返ったがあるわけはなかった。
 
 その後1週間もしないうちに埼玉大学の受験日になった。ろくに勉強もできなかった。4月1日に発表があったがやはり不合格であった。実習助手の勤めをやめその退職金で入った予備校で1年間自分なりにやってきたがなんの成果もなかったのである。もう20歳になってしまったが、どうしてよいかわからなかった。もう1年浪人しても入れるあてはない。
 
 福寿荘のトイレに入って息を吸うと嗚咽になった。目から水のような涙が出てしばらく止まらなかった。泣いている自分に驚いていた。夜部屋で呆然としていると、父がやってきて「アカイ電機の社長を知っている。就職するなら口をきいてもいいが」と言った。私は「いい」と断った。父は「そうか」といっただけで部屋を出ていった。
 
 父は富士電機設備工業という小さな電機会社の雑用をやっていた。アカイ電機は放送局で使うようなプロ仕様のテープレコーダーのメーカーであった。その社長とは学生時代の知り合いだという。今にして思えば、この申し出には父のある決意があったはずである。学生時代に親しかったといえ、いまや父は小さな電気会社の雑役夫である。自分の身分を考えれば、頼みにくいことであったろう。
 
 私の浪人について、それまで父は何も言わなかった。進路に関して父と話したのはこのときだけである。父なりに私のことを気にかけてくれていたのはうれしかったが、それまで勝手に浪人をしていてだめだったからすぐ父の申し出に乗るというのもあまりに都合のいい話である。それ以上に自分が会社員として勤めるということがまったく想像できなかった。だからといってもう1年受験生をするという気持ちにもなれなかった。
 
 新聞の求人欄に日本飛行船株式会社の求人広告が出ていた。飛行船のスタッフとして日本中を回る、という業務である。そういう仕事ならやってもいいな、と漠然と考えているだけで現実的に何もすることなく時間が過ぎていった。       
 
  97.1.1

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 あとがき:  木枯らしや毀誉褒貶は避けがたし
 
 読者さんから感想があった。このメルマガは一方的に送りつける形式なので、感想をもらうことはほとんどない。めずらしく前号に関して2通の感想をいただいた。表現は少し変えました。

 一つは「同種のものの中で一番レベルが高い。今後もこのレベルを維持して下さい。」というもので、いささか嬉しい。でも期待されているように「レベル」を維持できるか、はなはだ心許ない。たまたまそういう評価をいただいただけだと思っていた方がいいと思う。

 もう一つは「不愉快極まりない。こんなに人を不快にさせるものをメールマガジンにして配送する人格に嫌悪感しか抱けない」と罵倒された。本当に不快で嫌悪感が強かったんだと思う。その抗議メールは何度読んでも、頭が熱くなって何も考えられなくなる。

 私は普段はそれほど人に嫌われることはないと思っていたが、そういう自信がいっきに崩れる。その人の不快感嫌悪感の原因は確かに私のした事実にある。勿論、人は勝手に傷つくことがあるので、こういう事態が起こることは避けられない場合がある。それに自分が関わっている、ということで胸苦しくなる。たかが、知らない人からのメール1本、となだめようとするが、そういう試みは成功したためしがない。ちょっと謹慎状態に陥って、やろうと思っていたことが何もできない。致し方ない、またいつものようにじっと我慢してやりすごそう。事態の推移を辛抱強く見守って復活するのを待とう。(2000.12.9)

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 このあとがきは2000.1に書いている。インターネットのやり取りに関してずいぶんとナイーブなやり取りだと思う。このシリーズははじめはクラス通信の裏面に余分な付録として掲載していた。クラス通信には学校生活に必要な連絡などを載せていた。読者はクラスの生徒20名ほどである。だから私
と日常的に接触のある人たちである。自分の若い時はこうだった、別に読まなくていいから裏面に載せる。そういうスタンスだった。

 そのうちメールマガジンという仕組みができた。自分の記事をメールという形で配信してくれる。それを利用して配信した。その「読者」から来たメールに私が反応したのだ。相手はもちろん面識のない人である。そうした人を相手に私の取れる責任はない。そうまで思いきれなかった。「ナイーブな」というのはそういう意味である。

 だが、私が20歳の誕生日を目前にして、貸アパートの一室に住み着いた野良猫を捨て行ったのは事実である。その猫は妊娠していたのだ。私はそういう事をした人間である。そのことは消えない。