私の浪人時代(6)

 英語を訳すことで、形容詞とか動詞とかいう意味もはじめてわかった。国語でそういう用語を学んでいたはずであったが、それまではさっぱり理解できなかった。あとは日本語で表現するときに注意すればいいのである。これはなかなか面白い作業だった。成績もまずまずのものになっていった。
 
 数学は好きだった。小学校5年の時、自分1人だけ皆と違うことを答え、それが合っていた。担任教師に誉められた。始めの定義と用語法を教科書で学ぶ。後は論理的に合っていれば、正しい答が導き出せる。他の教科はどれだけ知っているかが勝負だが数学は考え方の筋道を間違えなければいい。
 
 中学高校と授業中は先生の話も聞かず、自分で勝手に教科書を読み進め章末の練習問題をやっていた。答はわからないから先生がその場所に来たときだけ授業を聞いた。間違えているところも自分でどこが間違えたかわかる。計算間違いや記号の使い方が違っていた。数学だけは教員と対等に勝負出来ると思っていた。
 
 受験生になって入試問題をやるようになると歯がたたなかった。兄がやっていた「大学への数学」の問題集を買ったが丸でわからないので問題から丸写しした。その大学ノートを1冊ほど埋めると、似たような問題をやるとき意味もわからず勝手に手が動いて答が出るようになった。そうした問題演習をやっていくと英語同様、突然意味がわかるようになった。習うろより慣れろ、という事なのだろう。
 
 ただ、数学の問題を解いていて困ったのはどこまで解答に書くか、ということだった。証明問題はもちろんだが、答に至る説明をどこまで詳しく書けばいいかわからない。1番短いのは答だけ書けばいいのだが、それでは選択式の問題を除いては点はくれない。センター入試問題のような試験はなかった。ほとんどが記述式である。これも添削や問題集の解答を写してあたりをつけた。
 
  結局私は模倣から入ったのである。ある意味で入学試験の目的は、出題者のいう事を聞くつもりがあるかどうか、そしてその能力があるかどうかを試すことにあるといえる。受験生の全人格的な評価はまた別の問題である。意味もわからず他人のいう事を聞くのは苦痛である。その苦痛にどれだけ耐えられるか、そのことを確かめるのも受験である。
 
 少数の恵まれた人を除けば、われわれは人の嫌がる事をやって収入を得るのである。自分の嫌な事に習熟し好きといえないまでもそのなかにいくばくかの楽しみを見いだせるようになれば立派なものだ。もっとも、自分の好きな道から入る、という方法もあるだろう。だが仕事となると好きだけではすまない部分が必ずある。そこをしのいでいく、ということになる。いずれにせよ、行き着くところは同じようなところである。
 
 微分積分が何の役にたつ、などという愚痴に惑わされそうになったが、どこか違うと思った。問題はその内容ではなく、嫌な事をやる、の1点にある。
 
 1996.8.27.
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 あとがき:受験数学というジャンルがある。これにはかなりはまった。もう30年以上やっているのではないだろうか。「大学への数学」やZ会の問題は難しくて面白かった。つい4年ほど前、私の子どもが高校に入った時Z会の添削を申し込んだ。私のように興味関心を持つかもしれない、という親ばかごころである。娘はまったく手をつけなかった。あえなく私の目論見は終わた。

 仕方がないので私がやった。ランキングにも入り筆名を載せたりした。まだまだ現役でやっていけるではないか。いろいろな解き方を考えるのが面白い。今は算数道場というのにはまっている。中学受験レベルの問題を解くのだが、算数だから数学の知識は使ってはいけない。これが楽しくてやめられない。いずれリンクに入れようと思っていたが、ここでご紹介しておく。出題者の草村算達先生は算数道を極めた達人である。我こそはと自信のある武芸者はお手合わせを願うとよろしい。
    算数道場→http://village.infoweb.ne.jp/~plato//

(2000.10.14)

 上記は19年前のあとがきである。この娘に子どもができて、4歳にして50まで数を数える。またじじばか心がうずいてきた。相変わらず毎年センター入試が終わると数学の問題はやってみる。今年は、数1A96点、数2B92点だった。もう制限時間では時間が足りない。大学への数学の問題はさすがに計算が面倒になってきた。今は中学への数学をやっている。なお、算数道場はだいぶ前にサイトを閉じてしまった。算達先生はお元気だろうか。