バイト時代

私のバイト時代 (19)

私は相手が若い女ということだけでも強く惹かれていたが、その上私の事を悪く思っていないらしい、ということで逆上した。そしてこんな状態ではとてもつき合う事などできない、と考えて断りの手紙を書いた。 自分はまだ学生で定収入もなくとても結婚できる身…

私のバイト時代 (18) 

生涯たった一度だけ見合いをしたことがある。それはオヤジさんの紹介だった。「君は良く工夫している」とオヤジさんは私をかっているようだった。仕事をするにも、最後の結果を考えて段取りを考えてている、というのである。 教えられた通りにやっていても充…

私のバイト時代 (17) 

原宿のマンションの補修工事の時はわびしい思いをした。12月のクリスマスの時だった。外壁の工事で家の中はいつもどおり人が住んでいた。冬の夕暮れで分厚い黒い雲が空を覆っていた。風は無かったが気温が低かった。 私は屋上から椅子の形をした一人用のゴ…

私のバイト時代 (16) 

このバイトで死にそうになったことが2度ある。一つは下赤塚のボーリング場だった。高さ10mほどの足場で作業していた。ネタをかき混ぜるとき使うトルエンが目に入った。あたりが瞬時に暗くなり激痛が走った。 何が起こったか分からなかった。ともかくそこ…

私のバイト時代 (15) 

このバイトを結局4年近くやった。それだけ長く続いたのは、全く一人で全行程を出来たからだと思う。朝8時に現場に入って、工事中の屋内で着替えて黙々と作業する。10時になったら休憩20分、12時まで仕事をして、昼休み1時間。午後の1時作業を再開…

私のバイト時代 (14)

戦後は進駐軍のベースキャンプでペンキを塗ることから始めたらしい。「アメちゃんは白いペンキが好きで必ず年に一回は塗り替える」とか「クロちゃんはすごい。ションベンなんか台所の流しで平気でする」とか当時の経験談を語っていた。クロちゃんとは黒人兵…

私のバイト時代 (13)

ルーマニアではゴキブリのことをグンダークというらしい。いかにも進駐軍相手に覚えたといった感じの英語でルーマニアの言葉はグンダークだけである。「ゴキブリはもう出ない。6ヶ月は保証する」という意味であろう片足の説得は相手に有無を言わさない迫力…

私のバイト時代 (12)

経営者は50代の小男で片足がなかった。太平洋戦争でなくしたと言っていた。杖をついて体を揺らして歩いた。仕事先にはこの「片足」と同じ都立大学の男子学生と私の3人で行った。 車はライトバンで後ろに薬品や散布器やその他の器具を積み込み、前に我々が…

私のバイト時代 (11)

集合時間は冬の早い落日がすぎた夕方であたりは暗くなっていた。場所は 竹芝桟橋の近くの公園だったと思う。そこにマイクロバスが着いた。運転手が降りてきて、競輪の仕事に行く人は集まってくれ、と言った。公園の中にばらばらにいた男たちが黙ってマイクロ…

私のバイト時代 (10)

都の清掃局のバイトは年末年始の臨時要員だったので、2週間ほどで終わった。大学の掲示板で探した次のバイトは引っ越しの補助だった。これは運転手と助手2名の3人がチームを組んでやった。 まず運送会社に行き、その日の現場まで車で行く。現場に着くと、…

私のバイト時代 (9)

工場の敷地は広大で全部測量するのに2週間ほどかかった。化学工場は作業員も少なくガランとした印象だった。測量の作業は一般の道路や民家と比べて格段に楽だった。ただ危険な個所が多く、ヘルメットの着用が義務づけられていた。油断していると、すぐわき…

私のバイト時代 (8)  

そして最後に、ポリッシャーを担当した。これが一番楽だった。作業の先頭だから、仕事のペースは自分で決めることができる。はじめは扱いにくかったポリッシャーもしばらくすると片手で操作できるようになった。電源コードをのばして短時間ならリモコンで遠…

私のバイト時代 (7) 

土日の床洗いはウィークディと違ってチームを組んで仕事をした。床洗いは仕事の段取りが決まっている。週に1度、床を石鹸水で洗いワックスをかけて仕上げるのが目的である。 この目的に向けて仕事の各段階が順を追って構成されていた。まず第一に出来るだけ…

私のバイト時代 (6) 

掃除のバイトでは世の中を裏から見ることができた。 月-金の掃き掃除では、退社後の人のいない事務所の中を掃いて回る。机の上を見ただけで、そこを使っている人の様子が分かる。几帳面に片づいた机、書類やその他のものが雑多に積み上げられた机、乱雑な机…

私のバイト時代 (5) 

上野駅キヨスクの売り子は半日やっただけだった。1m四方ほどの大きさの台車に新聞、週刊誌から、コーヒー、ビール、つまみ類など旅行の時に必要な様々なものが詰め込まれている。それをプラットフォームの上を押しながら、客の注文に応えて売るのであった…

私のバイト時代 (4)

高校は住まいのすぐ裏の歩いて5分とかからない工業高校電子科であった。ひと月ほどして学校の様子が分かるとさっそくバイトをさがした。 まず初めに応募したのは石鹸工場の倉庫係だった。近くの工場の塀に応募の張り紙があった。土曜日の午後だけ1度行って…

私のバイト時代 (3) 

この経験から、ラーメン屋の味を知るには、ラーメン、チャーハン、餃子の3点セットを頼めば十分なことがわかった。これ以降今に至るまで、ラーメン屋に行くとこの3点セットを頼み、教員の悲しき性で、汁、麺、具の3項目にわたって5点法で評定を下す、と…

私のバイト時代 (2) 

大番はごく普通の町場のラーメン屋だった。開店は11時、閉店は10時ころで、11時に店を開くためには朝10時頃から準備した。店長は30代の男で奥さんと2人でやっていた。ふたりとも中国人だった。 私の仕事は店内を掃除して、客があればコップに水を…

私のバイト時代 (1) 

浪人時代の次は大学時代に続くことを考えていたが、どうも気分が乗らない。そのうち教員になるまでにアルバイトをかなりやっていたのでそのことが思い浮かんだ。 家族に仕事をいいつかってそのお駄賃をもらうのを含めなければ、私が初めて仕事をして報酬を受…